追記のようなもの

表現の自由ってので、よく付随していわれるのが、「さまざまな表現物をみて、自己実現の一助にすべき」っていう必要性っす。法学部だとたいてい大学二年まで憲法ってやるとおもうのですが、書かせる問題の答案でこの文言が入ってるかどうかで点数がわかれてくるような気がします。ある意味で「こう書いておけば正解」みたいなところがあります。でもこの言葉にいまでもけっこう引きずられてます。
いまは政治家として職務を果たされてる小説家の代表作の中にナニで障子紙を破るシーンがありますが、えてして野郎ってそういうがきっぽさが抜けないことがあります。さらに「拳闘にのめりこむように」恋にのめりこむ主人公の姿が描かれますが、男にとって恋は拳闘と同じレベルで全身全霊をかけるようなすべてではないことがある、というのもきもであると思ってます。表現物をみて、あーそういうこともあるよな・あるんだな、ってのを知って、わが身の参考にするのが、自己実現のひとつだとおもってるのですけども。


成立した都の条例で、規制の対象になるような強姦シーンのあるような漫画・アニメについてなんすけど、個人的に欠けてる、とおもってるのはそこらへんで、さまざまな表現物に触れてあれこれ考えるってのは人が一人前になってく上でけっして間違ったことではないはずで、好ましくないものから思春期の青少年を一切遠ざけるというのは正しいのか?と思ってるのですが。好ましくないものを見るときになんで好ましくないのかを考えることも実は重要だと思ってて、いろいろなものを考えるチャンスのときに好ましくないものが一切ない、ってのは、どこか次の世代から考えるチャンスを奪うことになるんじゃないかなあ、と思うのですが。