疲れたときに現実を忘れさすようなもの、というのは麻薬みたいな効果があることと同義だと思います。私はまったく博打をやらないのですが、尼崎の競艇場とか船橋競馬なんかに行く人に聞くと、レースに集中してるときは現実なんかはほんと忘れてるらしいです。現実を忘れることが別に悪いことじゃなくってギャンブルでもちゃんと戻れれば良いのかな、と思うのです。ギャンブルにのめりこむのは経済的に身の破滅を招きますがギャンブル自体はさして悪いことじゃないんじゃないかな、と思う。ただ、ギャンブルの面白さは高揚感にあって、それが快感になるし常習しかねない危険があるのかなと推測します。ここらへん、ほんとの推測ですけど。


似たような感覚で身に覚えがないわけじゃないのが、エロだったりします。
軽はずみなセックスなんかはそのときは現実のことをすっかり忘れものっそ高揚感が有って楽しいときもあります。また、高校生のときに年上に夜中ジーンズに手をかけられ脱がされたときに下半身の興奮を揶揄された経験があって興奮したり快感を追い求めるっていうのはしたないという感覚ができ、そこから派生してほんとは押さえ込まなきゃいけないのに実はこうなんだ、っていうへんな自分をさらけ出す露悪の恍惚の高揚感というか快感が身に沁みついちゃっています(このブログでも書かんでもいいようなセックスの話があるのはそこらへんの露悪性から来てます)。自分をさらけだす高揚感につつまれて快感を追ってる最中は、現実を忘れられます。それを目的に軽はずみなことってしたことがあります。でも、軽はずみなセックスのあと、夜道でひとりになるとなんでこんなことしちまったんかなー、みたいなところがありました。そこらへんを感じたのでギャンブルにのめりこまないかわりにそういう方面に足を突っ込んじまったものの、その道に深くはのめりこまなかったのかなー、と。


子育てがどれほど大変か知らないけど炎天下の夏空の下、パチンコ屋の駐車場で幼児が熱中症で死亡、なんて記事を読むたびに単純になにやってるんだろうギャンブルって良くないんじゃ?なんて思ってたのですが、ギャンブルでもセックスでもアニメでもゲームでもなんでもいいんですけど、何かに耽溺する人、というのはひょっとして現実を忘れたいのかなーなんてことをたまに考えるようになり、自分でもなんとなく現実を忘れたいっていう感覚が判ってきたのでのめりこんだり耽溺する人ってのは、それがないとしんどいんだろうなーってことぐらいは想像がつくようになりました。
でも、麻薬が必要なくらい現実ってほんとは痛いものになりつつあるのかなー、なんて考えるとちょっと考えちまうのですが。
みんなほんとは痛いのだけど平気なフリをして生きていて、弱い人だけ溺れちまうってことはうっすら想像できるけど、溺れることを嘲笑できるかって言ったら、溺れるかもしれなかった人間からすると、なかなか出来ないです。