単純化の怖さ

山梨の勝沼って日本有数のワインの産地です。前は勝沼町っていう名前でしたがいまは周辺の市と合併して甲州市って地名になりました。正直、甲州市っていわれてもぜんぜんぴんと来ません。婚姻して名前が変わった人を呼ぶときにちょっと戸惑うのと同じでそのうち慣れるとおもうのですが、古い地名で覚えてるところは新しい地名ってのに、なんとなく違和感があります。個人的に勝沼という町名が消えたことは残念だと思ってるのですが、そんな感傷的なものはさておき、ここ何年かで市町村合併が進みました。合併によって起こりうる財政破綻を回避した、なんてことはあると思うのものの合併が良いことなのか悪いことなのか、正直わかりません。というのは人口の多い地域の地区の財布と少ない地域の財布を一緒にしたとき、その地域のマジョリティにとっての最適の政策が働いて、限られた予算内での予算配分はどうしても人口の多いところに優先されがちになりかねないし、人口がすくないゆえに投資が置き去りにされた結果過疎が場合によってもっと進む可能性があるからです。ただ合併によって重複する事務を減らすことができるほか、議会議員数を減らすことができるので、まったくメリットがなかったわけではないと思います。
で、どことは書きませんがメリットだけ見て行政の無駄を省くって言う命題からそういう構想を持つに至ったとおもうのですが、全国を300くらいの人口30万人規模の基礎自治体に再編・誘導する政策を掲げてる政党があります。なんとなく説得力をもちそうですが、正直その発想がすごいよな、と思います。もし、それを仮にやったら、東京は1200万ですから40になりますが、山梨は100万もいませんから3つになります。高知も80万ありませんから3つですが、あの広い県内に3つしか自治体がない、ってのはどうみても無茶です。この構想、歴史的経緯や地域経済ほかを含めて冷静に考えれば考えるほど「なんぼなんでも無茶な」話なのですが、無茶でも「こうあればよい」もしくは「こうあるべきだ」という感覚的というか頭の中だけで考えた観念に従って現実を批判して変えようっていうのがこわいっす。地域の固有のややこしい事情をすっとばし、複雑なものを単純にしようとしているのだろうけれど、単純化がよいことと思うところが、常にマジョリティに属することで最適な政策が選択され利益を享受してることによって固有の事情をすっとばされて最適でない状態に直面したことがない、マジョリティ特有の発想じゃないっすか?
つか、世の中そんな複雑じゃなくてもダイジョウブ、巧くいく、と思ってるのかなあ。
政治ってマジョリティだけ最適になっても意味はない気がするんすけども。でもそれが政治なんですよ、っていわれればそうなのですかってしか、いいようがないのですが。
なんか続けて政治について書いちまったものの、あんまり政治のことがわからないので、政治ネタはここらへんで。