「心頭滅却すれば火もまた涼し」

おそらく甲府盆地の地名で全国的知名度を誇るのが勝沼だと思うのですが、その勝沼の隣町が塩山です。その塩山に恵林寺という寺があり、武田家の菩提寺です。死んだ父に連れられて恵林寺のそばは何回も通っていて、でも一度たりとて山門をくぐったことはありません。ただ武田家が滅亡するあたりの織田徳川の甲州征伐の際に焼き討ちにあったことは教えてもらってます。火勢が拡大する中で当時の僧が

心頭滅却すれば火もまた涼し」

といったとも伝えられてて、それを聞いて子供心に織田や徳川というのはひどいことするなあ、という印象をずっと持っていました。いまでも信長や家康を私は好きではないです。子供の頃の印象というのはなかなか捨てることができませんってそんなことはともかく。

私は長いこと「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉は恵林寺が由来の言葉だと思っていました。恵林寺のことが頭にあるので火あぶりにあったこともないので、実生活では一度たりとて使ったことがありません。☆をいただいた方のブログの記事で「心頭滅却すれば火もまた涼し」の言葉が夏の暑さに使われてるのを拝見して、おのれの中でちょっとした違和感に火がつきます。その違和感の火の回りは徐々に拡大して、山梨県内は別として山梨県外ではおそらく名を知られているわけではなさそうな寺のことが、なぜ誰もが知る故事になるのだ、というところにたどり着きます。もしかして、と思って検索するともともとは漢詩由来であることをここではじめて知りました。

人に与えられた時間は有限で学べる時間も限られてると知りつつも、知識の欠損に直面すると・おのれの無知を思い知ると、顔から火が出そうなりませんかね、ならないかもですが。