テツの血1

京阪電車ってのが京都と大阪を結んでます。で、今でこそ京都市内を地下鉄で走ってますが昔は鴨川べりを走ってたはずです。なんでそんなふうになってたのかはわかりませんが、確か南座のそばの四条駅は四条通に面して、踏切の遮断機が無かったはずです。で、警戒音がなると駅員さんがでてきて車や人の流れを手を拡げて止め、その後ろを淀屋橋行の緑の濃淡の電車がのそりのそりと走って行きました。たぶん一番古い電車の強烈な記憶がそれで、ほかに伊勢へ行く二階建ての近鉄特急がやたらとカッコよく見え、本気で近鉄特急の運転士になりたいと思ったこともあります。


幾割かの男はたぶん、小さいときに動くものに興味を持つと思うのです。それが人によって電車であったり自動車であったり昆虫であったりするはずです。興味のある対象物には拘りが生じます。で、私はたまたま電車に興味が行ってしまって、中学くらいまでは毎月へ行き図書館で「鉄道ファン」とかを読んでました。普通の非テツの人は阪急電車を「阪急電車」と大きなくくりでかこっちまうのですが、「テツ」は拘りがあるので違います。そういう大きなくくりがどこか許せない。たとえばマルーン色の阪急電車の中にも分類がありまして神戸線宝塚線京都線では走行車両に差があってその差異に注意を払うのが「鉄の血」の一つです。なんでそんなことに目が行くの?とおもわれるでしょうが、興味を持ったものに対して差異を見分けるのは理屈じゃなかったりします。単なる執着だとおもう。


その拘りの根源というか、執着の出発点は何かっていったらたぶん、私の場合小さいころ見たのそのそと走る京阪電車に対するなんだあれは!という、ある種の好奇心のようなものじゃないかなー、と、最近思っています。鉄分はだいぶ抜けてはいるのですが、それでもたまにかっ飛ばす京浜急行快速特急阪神間の新快速に乗ったときや、鮮烈なデザインの九州のJRの特急の映像を見たりすると血が騒ぐっていうか確かに過去に鉄分が多かったことを再確認させられることが多かったりします。