すねて片寄る布団のはずれ惚れた方から機嫌とる

「すねて片寄る 布団のはずれ 惚れた方から 機嫌とる」

恋をしてるときというのは喧嘩しても双方ほんと理不尽!と一瞬は思ってもどちらかが折れることがあります。惚れた度合いが強いほうが折れ易いと思います。なんで理不尽でも折れ易いかといったらやはり「得難い」のです。どこか失いたくないってやつがあります。ちょっとぐらいプライドまげてもいいや、というやつです。



あおくさい書生論をぶてば、この「得がたい」という想念があえていうなら恋をしてるときの本質のひとつじゃないかなと思えてならないです。人に時計を持たせておきながら待ち合わせの駅の改札口に時間どうりに相手が来ないでイライラしつつも許せてしまうのは相手が「得がたい」からで、たぶん相手にプレゼントをして驚かせて喜ばせたいのもその笑顔が「得がたい」から。朝起きてかまって欲しくてイタズラするのもそのあとにくるいちゃいちゃが「得がたい」瞬間だからだし、一緒にレストランへ行って食事してる瞬間とか先に風呂に入ったあとに何もつけずにベットで相手を待ってる瞬間とかもかけがえのない「得がたい」経験で、本気で言い争いをして相手を失うかもしれないといった恐怖と背中合わせの喧嘩も「得がたい」とおもう。
両思いだろうと片思いだろうと恋をしてる瞬間は替えようのない一発勝負の瞬間の連続だからどこか気が抜けないけど、その瞬間がひどく濃密であることがいつもじゃないけどあって、それがとても「得がたい」ものに感じます。



一人で居ることは絶望的じゃないと思うし誰だって一人で生きていけるのは確かなんですが、世の中必ずしも楽しい事だらけじゃないわけで、その中で麻薬めいたものは欲しくなる。恋というのが場合によってはストレスを抱えたり肝を冷やすようないろんな体験をしなければならないと知りつつもやはりそれに身を投げたりわざわざ近づくのは麻薬中毒の患者の心理に似てると思います。人間やめますか?それとも麻薬やめますか?っていうのがあったけど、一度得がたい濃密な時間を経験したらたぶん、人間をやめる人もいると思う。つか、人間を捨てるほうかもしれません私は。