考えすぎ

はてなにははてなカウンターというのが有って、毎日のログやアクセス数や検索語がわかったりします。あまり見ないほうですが、検索語をたまに見ると、代理母や300日規定の言葉できてる人が多かったりします(フェラ、ご褒美、で飛んでくるひともいます)。その人たちはここで何か参考になるようなものを見つけていただけたらいいと思うんですが、私は法曹関係でもなく、それも肩書きナシで匿名で書いてる一介のサラリーマンに過ぎません。ネットというのはどこか記述の信頼性について匿名であっても人の誠実さに基盤を置いているとおもうので、肩書きが無くともその誠実さを信頼して見に来てくれてるならそれに応えなきゃ、というのがあってキチンと書いているつもりです。


で、検索じゃなくてきてる人は一体なんなんだろう、と、思うときがあります。
書いてるほうの事情をちょっとだけ。
意図して私は、「私はこう思う」みたいなことを書いています。特に性に関しての差異についての記述は半分は自分を正当化するためにやってる側面があります。私はひ弱ないきもので、他人の賛成意見を(その意思表示がなくとも)どこかで欲しくてかいてますし、下半身についての記述もこう思うんだけど間違ってないよね?みたいな確認を誰かに求めている部分があります(意思表示が無くとも誰かがみてくれてるという事実が安心します)。
実は文章を書くという行為は、(既に何度か書いたことがありますが)特に私的なことを書けばかくほど、内心のことを書けばかくほど私はストリップに近いと思っています。
少なくとも私の場合は文章を書く上で自分という存在を強く意識してて、匿名性もあるのでむき出しのままの思考やら意識やら感情を垂れ流しています。自虐的な言い方をすればあってもなくても構わないいようなもの、チラシの裏にでも書いておけばいいようなことかもしれません。自分の文章を(といえるかどうか私の場合ははなはだ怪しいシロモノを)他人に読んでもらうというのは、内心や意識を積極的に表にさらけ出すということと同じで、内心がほぼその人そのものであるのなら内心思ってることを書くというのは自分の裸体を人前にさらすのに近いものがあると思うのです。それを覗きにくる人がいる、というのは、自分にはまだ価値があるんかなー?みたいな誤解を発生させるにはもってこいでしたし、自分の構築した表現物に引っかかる人がいるというのは書くほうからすると快感でもあります。
カウンターをみて、お気に入り登録?をしてる人がいるらしい、とわかったのですが、たぶんその人たちは私は、ものごとの捉え方とか私の視線がちと変わってるから見にきてるのかな?と思うようにしてますが。ご期待に添えてなかったらごめんなさい。変えられることはできなかったりします。


他人の文章を読むという行為はたぶん、書く以上にいやらしい行為かもしれません。特に内心のことが書かれてるのならなおさら。
上記のような思考に陥ってから他人のブログをあまり見なくなってしまっています。他の人がどういう意図で書いてるかはわからぬものの、過去に読んでいたブログであっても内心がほぼそのままストレートに出てるんだろうと思うようになり、苦悶が有ればほんまに苦悶してるんやなー、と思うようになり、単に覗き見してる自分が他人が苦悶してるのを傍観してるのに過ぎないのが妙に引っかかるようになり、読むのがしんどくなったのです。


考え過ぎかもですが。
読んでしまった後になんとなくその人のことが理解できるようになり、で、逢ったこと無いのに、顔を知らないのに、見過ごせないような、なんかやたらと気になるこの感情はなんなんだ、と思うときがあります。