『極端な例として数の問題じゃないけどあまり好きでもない人と100人ねて、あなたが101人目とかだったら、自分や相手はどうかという問題です。許容してくれればいいけど、ほんとに許容してくれるのか?みたいな。些細な問題かもですが、どうですか?』ってことを書いたことがあります。セックスの話で、です。
これで、実は、真面目に考えてるんですねー、という感想を貰ったことがあります。


このブログに書いてることなんて、内心思ってることだけど、リアルではほとんど誰にも言っていません。上記のことをリアルで云ってもいいけどさして人生経験積んでないから年上からなに言ってんだと言われるかもしれないし、最悪バカにされるかもしれないし、そもそも気にも留めて貰えない可能性があります。また、同じお茶でも三越の包装紙と西友の包装紙じゃありがたみという神通力が違うように、所属、年齢、出身大学、血液型とかで人を判断するってのを誰もやっちまいがちです。上の事例で私がかつてウリ専なんて過去だったらたぶん全然違う見方をされるでしょう。グスタフなんて行き当たりばったりのHNをつけちまいましたが、匿名ってのは、リアルの自分に関わる包装紙のようなものをすべてシャットアウトして書けるので、ありがたかったりします。書いてること、そのむき出しで見てもらえて判断してもらえて、反応ももらえるので。
さらに真面目なことは案外他人に向かって面と向かって言うのは恥ずかしかったりします。
けど、匿名はそれができるので楽だったりします。


匿名で書くようになってから、常にじゃ無いけど真面目に考えてるコトを、さらけ出さざるを得なくなった気がします。それが記事に出てるかまではわかりません。他人にわざわざ伝えるんだからって、だれでも書けるような表面的なことを書いてもしょうがないとも思っています。法律学を学んだり四国へ行ったり本を読んだりとかまだ短いけど生きてきた人生の中からとか、自分にしか書けないないだろうことを書く。常にじゃなくても、たまにでも。それが匿名における誠実さじゃないのかなーとか思いはじめています。けじめのつけ方かもしれません。
どこか真剣勝負なんすよ。
だって匿名だから。
書いてることでしか信用をかち得ないから。



何かいてもいい、ってのと、信用の程度ってのはたぶんリンクするんだと思います。
匿名って無責任になりやすいからこそ、実は人間性がもろにでやすいし、おっかねーと思うようになりました。