不安を抱えてる国

これを書いているのはいわゆるLGBTに属する人間で、web上でそれを知ると人によっては態度が違ってきます。おおきくわけてLGBTを異質な可哀想と思う人とどこにでもある恋バナに近い感覚で捉える人がいました(私が品がないので勝負パンツの上から揉むなーとか思ったことない?とか書く人間だからかもしれませんが)。私はおのれが可哀想だと思ってないので、異質で可哀想と思える人の思考がなかなか理解できなかったのですが、そのうち理解したのは、可哀想というのはおのれは絶対安全地帯に居ることを確認して格下とみて手を差し伸べる発想です。そこらへんの経験から、他人をだしにして・比較して自分の位置を確認したがる人もいるのだ、と考えるようになっています。他人をだしにしないと・他人と比較しないと安心できないというのは、わりと不安に苛まれてることの裏返しなのではないか、とも思っています。

話がいつものように素っ飛びます。

今回の台風のことで、特定の地域を河川の堤防の高低を理由に「沈む運命にある街」とか(その区は河川氾濫より内水氾濫に複数回悩まされてるのですが)、排水等の設備の不幸な瑕疵によって機能不全に陥った再開発地域をヘイトする言説があることを知りました。十中八九、これって他人の住んでいる街を下に見て・他人をだしにして・他人と比較して、おのれの位置を確認してるのだと思っています。品がないなあと思いつつ言論の自由があるのでそれらは自由だとおもってるのですが、そうしてしまうのは実はこの国は不安を抱えてる人が多いのではないか、とちょっと思っちまったり。

私が社会現象を書くと誇大妄想的になるのでここらへんで。