冷凍精子児童認知事件最高裁判決

西日本在住の40代の女性が夫の死後、凍結保存していた精子を使った体外受精で産んだ男児(5)が、亡くなった夫の子と認知するよう国に求めた訴訟の上告審判決が4日、最高裁第2小法廷であった。

 中川了滋裁判長は、「死後生殖は現在の民法が想定していないもので、親子関係を認めるか否か、認めるとした場合の要件や効果を定める立法がない以上、法律上の親子関係は認められない」と述べ、認知を認めた2審・高松高裁判決を破棄、男児側の請求を棄却した。これにより、男児と夫に法的な父子関係が認められないことが確定した。

 凍結精子を使った死後生殖で生まれた子の認知について、最高裁が判断を示したのは初めて。同種の二つの訴訟では、東京、大阪両高裁が請求を棄却(いずれも上告中)しており、判断が分かれていた。

 判決などによると、女性の夫は白血病の治療を受ける前に精子を凍結保存し、1999年に死亡。女性はその後、体外受精を受けて妊娠し、2001年5月に男児を出産した。

 女性は、男児を夫婦の子として出生届を提出したが、受理されなかったため、認知を求めて02年に提訴。1審・松山地裁は請求を棄却したが、2審・高松高裁が認知を認めたため、国側が上告していた。

( 9月4日付YOMIURI ONLINEより転載)


ちょっと前にエントリを起したことがあるのですが、白血病治療に先立ち冷凍保存していた夫の精子を使って、夫の死後300日経過後に子供を出産したケースです(死後300日以内なら夫の子として出生届が出せたがこの場合できない)。で、嫡出でない子である生まれた子供を死んだ夫の子として認知してほしい、という訴えを起しました。民法は親の死から3年以内であれば死後の認知を求める訴えを起すことができまして、それにのっとって松山地裁に提訴していました。民法は親が生きていた状態での懐胎を前提としていまして、こういうケースを想定していません。現行民法の想定外の親子関係の解釈と、死後の体外受精(死後生殖)に対する亡夫の同意の有無が争点となりました。民法の規定で被告となった検察側は、死後生殖?による親子関係は、現行では認められないと主張し、これに対し女性側は、今回の事態を「想定していないのは法の不備」と主張して男児がすでに生まれた以上は認知して出自を知ることや様々な権利を保障し(たぶん子供の権利条約を意識)子供の福祉を守るべきと訴え、さらに女性側は亡夫に生前「自分が死んでも子供を産んでほしい」と頼まれたと主張。検察側は死後の体外受精に関して生前の同意については精子を保存する際に亡夫が医師と交わした「死後は廃棄」と記した書面を挙げて否定しました。
たぶん子供は遺伝学的には死亡した夫の子であるのですが、第一審の松山地裁は認知の前提となる血縁上の父は純粋に遺伝学的なものから決定するのではなくて、社会通念に照らして個別に判断すべきとし、このケースにおいては死んだ夫を法律上の父と認めるには躊躇するとして認めませんでした。また、法律上の父子関係を認めることが子の福祉に関わるとはいえないともしていました。確かに死んだ父から扶養を受けることはあり得ませんし、その相続人にもなれない(夫の死亡時つまり相続開始時に存在してないとまずいのです)ことを考えると確かにそうであります。

ところが控訴審である高松高裁は逆に死亡した夫の子であると認知する判決を下しました。死後の認知は夫の生存中に懐胎したことが前提という要件はないとしてです。民法787条の条文をそのまま単純に素直に読むと高松高裁の判決は妥当です。
高松高裁のあと、最高裁に係属して今回の判決が出てきたわけです。

ずっと考えてたわけではないのですが、ここでこういった最高裁の結論が出ました。
最高裁の判決が私は直感的にどうかな?とはおもいます。


もし仮に夫の死後にこのような冷凍精子を使った子供の出産があり死後認知を認めてしまうとたしかに法的安定性を考えると好ましくないです。ただ産まれた子供に責はなくて、DNAなどの証拠主義というところからも強制認知を認めない理由ってないような気が個人的にはします。


強制認知の法的性質は訴訟という手段を用いて強制的に父子関係を確定する制度であり、父の意思の反して父子関係を認めさせる訳ですから、基本的に相続とか扶養といった財産的効果を実現する手段として意味があるんで、認知のメリットについて最高裁判決理由の中で判断するのは確かに正しいとは思うのです。ここで強制認知について認めても確かに財産的効果は薄いかもしれません。
ただ、そういう問題なのかなぁ?という根本的な疑問が私はあります。嫡出子でないことは子供に責があるわけではないのです。強制認知制度の理念は、実は責のない子の有形無形の利益を守るためのものであって、財産的効果はその効果に過ぎないとおもうのです。
たとえ財産的効果がなくとも、私は認めるべきであったのではとおもいます。

もしよろしかったら考えてみてください。
前にも書いたのですがこれは正解が無いような気がします。
こういった案件のときに認めてもいいことなのかどうか?とかです。
先端の医療が目の前にあるのに、法整備がおいつかない現状で、こういったことは誰にでも直面しうると私なんかは愚考します。



参考までに↓

第七百八十七条 子、その直系卑属又はこれらの者の法定代理人は、認知の訴を提起することができる。但し、父又は母の死亡の日から三年を経過したときは、この限りでない。


以下後日追記