向井さんのドラマのあとに

代理出産、営利目的は禁止  産婦人科医師が法制化に私案




代理出産を5例実施したと、国内で唯一公表している諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)のN院長が25日、東京都内で開いた生殖補助医療を推進する医師や患者の集会で、代理出産の法制化に向けた私案を公表した。代理出産は当面、妻が生まれながらにして子宮がなかったり、がんなどで子宮を摘出した夫婦を対象とし、夫婦の受精卵を代理母の子宮に移植して産んでもらうケースに限定、営利目的の代理出産は「刑罰によって禁止すべきだ」とした。代理出産を中心とした生殖補助医療の法整備をめぐっては、法相や厚労相の要請を受けて、日本学術会議が先月から、1年かけて検討を進めている。今回私案を公表したのは、不妊に苦しむ患者と接してきた経験に基づく意見を同会議の議論に反映させる狙いがある。さらに、精子卵子を第三者に営利目的であっせんするという、自称精子卵子バンク業者が現れており、代理出産からこうした業者が参入するのを防ぐ目的もある。私案では、代理出産は「ボランティアで行うもの」として、代理母への金銭補償は、妊娠や出産にかかる医療費や交通費などの実費、妊娠期間中の収入補てんなどに限定。ただし、「10万〜20万円程度」の常識の範囲の謝礼は受け取れるとしたが、代理母は金銭要求する権利はないとした。営利目的の代理出産にかかわった医師や業者、依頼した夫婦ら関係者すべてに刑事罰を与えるとした。また、依頼した夫婦が子どもの引き取りを拒否したり、事故で亡くなって引き取ることができなくなった場合には、代理母の権利として、妊娠22週未満なら人工中絶を認め、それ以降や産後には子どもを養子に出すことができるとした。将来的には、依頼夫婦と代理母が届け出て、あっせんを受ける、準公的な「代理出産仲介センター」の設置も求めている。
代理出産→病気などで子宮を失った女性に代わり、第三者の女性に妊娠、出産してもらうこと。夫婦の体外受精卵を第三者の子宮で育てる場合と、第三者から卵子の提供も受ける場合がある。国内では2001年に諏訪マタニティークリニックが実施を公表したが、厚生労働省審議会が03年に禁止の方針をまとめている。

2007年2月26日付読売新聞より転載

向井さんのドラマが放映されるからか、こういう記事が載っていました。ついでにいうと向井さんのドラマを見ていません。たぶん美談に作ってあって、見た人はおよそ日本の国は生殖医療について無理解で、法律の整備も遅れてる!とか憤慨してると思います。個人的に一番恐れ、一番おっかないとおもうのは「代理母を認めないのは冷たい」といった感情論です。これをつきつめると、法律の原則論に拘り続けて向井さんのような環境におかれた人々の幸福追求権を無視することによって、「例外を認めれば幸福になれる善良な市民」を不幸の奈落の底に突き落とす権利は誰にあるのか、という問いになるとおもいます。もちろんそんな権利、誰にもありませんし、そのような主張が必ずしも代理母を認める論拠になるとは思えなかったりします。
念のためもう一度付記しておきますが、我が国においては法律上は代理出産は禁止の明文の規定はありませんが肯定をしてる明文の規定もありません。


私は代理母について不妊治療の文脈で語られることに違和感があります。
代理出産で妊娠・出産するのは誰かというと「代理母」です。代理出産は治療でなく善意の健康な第三者を巻き込み機能を肩代わりさせるための技術です。逆に、不妊治療で妊娠・出産できるようになるのは誰かというと「治療をうける本人」です。
あえて申し添えたいのは他人の体を借りて出産してもらい子供を貰い受ける行為が国としての法律と認められて、はたして良いことかどうなのかを考えてみていただきたいと思います。確かに望めば望むだけ技術があり第三者のものを借りても子供を授かることが可能ではあります。しつこいようですが代理母出産は、最悪の場合は死んでしまうことさえある妊娠、出産のリスクを他人に負わせることです。それも法律で是認してしまってよいのでしょうか。
自分の子供が欲しい、というのは理解できなくもないですがそれを少なくとも不妊治療の文脈で語ることはちょっとおかしいのではないかと思います。治療なのでしょうか?私は治療とは思えないのですが。またちょっと臓器移植に似てくるのは代理母になろう、という人に対して善意を要求して点です。代理母の行為を殊更ヒューマニスティックなものと位置づけ、「犠牲的愛の精神」に基づく、人助けの医療であるという風にするのは危険だと思います。




代理母から生まれた子が障害を持ってたとき依頼者が引き取らない可能性の問題などもありますがそれはさておき、上記の私案において一番引っかかるのは依頼した夫婦が引取りを拒否した場合に代理母が権利として養子に出す権利や中絶を認めてるところです。もちろん現行の民法母体保護法において養子や中絶は認められてはいます。ただあくまでもそれは妊娠した本人の自己決定であって、依頼したほうの都合によって母胎に中絶の施術をしなければならなくなったり、依頼者の都合で産まれてきた子供の生命や権利が左右されてはたしていいのか?という疑問があります。私はそのようなことを危惧するくらいなら代理母制度など必要は無いのではないかと思えて仕方ないのです。
憲法の条文に「代理母」を認めうる根拠を見いだそうとするならば、やはり憲法13条の「幸福追求権」を引用するしかないと思います。代理母出産を用いて子供を産むかどうかは、まさしく個人の自由の範疇に属する事であり、およそ国による原則禁止といった包括的な干渉が許されないようにも考えられます。つまるところ代理母による出産は代理母になろうとする女性自らの身体を自らの意思によって使用する権利、生殖についての自己決定に基づくものであり、また依頼主にとっても、家族の形成・維持、生殖にかかわる自己決定ゆえに、国家がこれを一律に禁止することは、こうした自己決定を否定することになるといえばそうなのです。認めざるを得ないのかもしれません。ただ確かに子を産み育てるその決断等は本来確かに法律が干渉する分野ではないでしょうし子供が欲しいという願望がわからないでもないですが、それでもなお、生まれてくる子供の幸福追求権や福祉に影響を与える可能性があるくらいならば代理母制度は認めないほうがいいのではないかと思うのです。


付随して実の子として認めるか否かの問題もあります。日本の現行法上は日本においては提供された卵子であろうと精子であろうと、日本では基本的には子宮の母が原則生まれてきた子の母、ということになりますがこの原則はたぶん崩れることは無いのではないかと思います。単に遺伝子を受け継ぐ子供というか事実として代理母による出産というのは例がなかったわけではありません。その場合は子宮の母が実母の扱いで、卵子の母の養子となる、という方法をとります。代理母による出産を経てその自分の遺伝子を受け継ぐ子を実の子供として届け出した向井さんの件でDNAなどをもとに遺伝子上のつながりを重視すべきという意見も市井にはあったのですが、子宮の母でなく卵子の母すなわちDNAを理由に実母と認める方向へいっちまうと、代理母以外の卵子提供者つまり卵子の母全員を実の親としなければなりませんしそれだけにとどまらず、精子提供者をも実父としなければ公平性に問題が出てきちまいます。そこらへんが悩ましい。で、仮に代理母の存在をすっ飛ばして実子として戸籍に記載することになってしまうと卵子の母が子宮の母による子の出生より前に死亡した場合に問題が起きてきます。えっと、子の誕生日の前に卵子の母が死亡、というふうになるわけです。亡母を父母欄に記載することが困難だとおもわれます。


この国の社会は子供のある家庭を標準的な家庭としてとらえ、つくられています。子供を産まないと一人前でないという考えも根強かったりします。願わくば多様な選択肢を選べる社会が一番ですが子供のいない人を特別視しない社会になってほしいとはおもいます。それが一番の解決策のような気がします。

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