名前の売れてる有名な人のことの私人としての部分のことを取り上げるとあんまりよくない気がするのですが、とりあえず書きます。野田聖子代議士が最近外国の第三者卵子を使用して、お子さんが産まれました。昔から不妊治療に取り組んでて、へー初志貫徹したのかー、ってのが聞いたときの第一印象でした。


野田さんのように、卵子を第三者からもらった場合、分娩の母というか子宮の母(野田さん)と遺伝子上の母(卵子の母)ってのが、生殖医療ででてきちまいます。遺伝上は野田さんとお子さんのつながりはないはずです。でも母は野田さんになります。日本の戸籍実務は遺伝上のつながりがなくても分娩した人=子宮の母の子になります。前の最高裁判例がいきてるからです。以前、これを崩そうとしたことがあって、向井亜紀さんは代理母をつかって子を授かって、その子が向井さんの子であるというネバタ州での判決をもとに向井さんが母としての出生届を認めよ、という訴訟を起こしました。他人の産んだ子でも遺伝的に親子であれば実の親子と認めよ、つまり遺伝子上のつながりを重視すべきという意見です。それもわかるのですが、子宮の母でなく卵子の母を母として扱い、分娩を経てなくても遺伝子を理由に実母と認める方向へいって仮に代理母の存在をすっ飛ばして実子として戸籍に記載することになってしまうと、たとえば卵子の母が子宮の母による子の出生より前に死亡した場合に問題が起きてきます。子の誕生の前に母が死亡、という事態になると(戸籍などで)困るわけです。たぶんそういうことがあって、認めるわけにはいかねーだろーなー、と思ってました。向井さん訴訟は向井さん側敗訴で終結し、いまのところ子宮の母≒戸籍上の母ってのは動いてません。


日本産婦人科学会は夫婦間以外の第三者からの卵子提供がからむ場合のケースについて受診を自主規制してたのを09年に変更してて、野田さんの場合も倫理的には問題はないです。ですが、生殖医療自体の構造的問題として、生まれてきた子は、複雑な事実関係を生まれたときから背負うことになります。外国から卵子の提供を受けたので子はハーフのようになる、っておっしゃってるはずですが、恥ずかしながら感覚的に「うーん」っておもっちまうのです。ただ、それでも血をわけた自分の子供が欲しいというのはこれまた感覚的にまったく理解できないわけでもないですけども。
意図的に家族を増やすというのは、それぞれのカップルに属する自己決定権のようなものであるとおもうのですが、子供を授かることが権利なのか、それともそうでないかでここらへんの是非は結論が違ってきちまいます。野田さんのような選択する場合、不妊症患者の中で選択肢がすくない、というのはわかってはいるのですが、反面、他に選択肢が無いなら第三者卵子をつかっても良いのかといったら、なんかどこか違う気がするのです。気がするだけで、特に根拠なんかなくて、つきつめると人為的に生命を操作して誕生させることに、果たして人間が関わっていいのかどうか?という、きわめて微妙な問いに行き着く気がします。それはこの国では是という方向に進みつつあるんすけど。
正直ニュースを聞いてからたぶんめでたいことなんだろうなと思いつつも、古典的な「こどもって授かるものではなかったのか」とか「ほんとにこどもって治療を受けてまで産まねばならぬものなのか」ってことを考えちまってて、すこしぐるぐるしてました。答えは出てません。当人や当事者の自己決定の末のことなので、本来は第三者が口を挟むべきことではありません。そもそも私にとって結婚・出産ってのは遠い世界の話なんすけど、知り合いが結婚して数年へてもなかなか子供を授からない、ってのを一例知ってるので(どこか、無理して子供を産むことまでしなくてもいいのではないの?というのがどうしてもあって)なんとなく余計に考え込んじまったんすが。