面倒と便利と不便

自転車がなくても生きていけるのですが、ないと時間がかかったりするので少しだけ不便だったりします。似たようなものに部屋干しトップとコーヒーマシンがあります。自転車がなくても歩けばいいし、部屋干しトップも晴れた日まで待って干せばいいし、コーヒーマシンが壊れても粉をのせたフィルターの上にやかんからお湯を少しずつ注げばいいことなのです。面倒なんすけども。それらがなかった時代、それらがなくても生きていけたわけで、面倒をなんとかするための便利なものが開発されると、いざという場面でそれらがないことで生じる不便ってのがあるのかもしれません(すくなくとも私にとっては)。

ケータイやパソコンで文字をうつとき便利なので漢字の変換はそれら道具にまかせちまうことがあるのですが、手書きで踰越という漢字を書いた時に不安になったことがあって(辞書であってるかどうか確認した)、便利になれると頭の中が退化していざという時に不便すね。面倒でも頭や手は適度に使ったほうがいいのかもしれません。