母体保護法

第二条(定義)
1 この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保持することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。

第十四条(医師の認定による人工妊娠中絶)
1 都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

妊娠中の女子から自然の分娩期に先立って胎児を母体外に排出する行為、および胎児を母体内において殺害する行為を堕胎といって、刑法ではこれを禁じています。ですが、特定の要件をみたせば、オッケイであったりします。母胎保護法に規定があったりします。
本人及び配偶者の同意を得て(例外的に本人の同意だけよい場合があるのですが)、妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの(医学的適応事由)、暴行もしくは脅迫によってまたは抵抗もしくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの(倫理的適応事由)については、指定医師による人工妊娠中絶(胎児が母体外において生命を保続することができない時期に人工的に胎児およびその付属物を母体外に排出すること)を認めています(母体保護法14条1項参照)。
堕胎罪が、じゃ、何を守っているかというと、胎児の生命であったりします。母体保護法は女性の自己決定を考慮していて、妊娠した女性の自己決定と胎児の生命を天秤にかけて女性の自己決定を認めているわけです。母体保護法は経済的事由で育てられそうにない場合の中絶も許容していますし、母体保護法は厳格に運用されてるわけでなく、緩やかに運用されているので堕胎罪はほぼ死文化しています。これらのことは、ちょっと強引にいえば、日本においては「子を産まない自由」というのは存在しているようなものであったりします。
で、子を産まない自由というものがあるのなら、子を産む自由があってもいいじゃないか、というふうになるのは自然でしょう。中絶という手段をとろうと思えばとれる私たちは、生命に対してコントロールすることにさして抵抗感がなくなっているのやも知れません。以前は子宮摘出などの場合には、子供を諦めねばならぬ状況に追い込まれたカップルも、技術的に可能ならば自分たちの遺伝子を持った子を持つことができるかもしれない、ということがわかったら、それにかけてみようか、という検討は無理からぬことかも、とは思います。向井さんが実はどのようにして代理母を選択したのかは正直知りませんが、自らの遺伝子を持つ子を、というのは、全く理解できなくもなかったりします(しかし、それはやめておくべき選択じゃないのかなとはおもうのですけども)。


ただ自分たちのやりたいことを自己決定権の名のもとに全てやれるか?と言うたら、それは、ノーだと思うのです。生命に関する自己決定というのは、ある程度の留保があってしかるべきではないか、と思います。全てが自分たちだけで完結するわけでもありませんし。


以下、何度も繰り返してるような内容になります。しかし、繰り返し書いておきます。

我が国の民法は母子関係は卵子と子宮が同一の女性であることを前提に成り立っています。で、繰り返しになりますが分娩の事実により母子関係を確定するという過去の判例によって、子宮の母が実の母である、としています(向井さんの事例は、米国籍をもつ双子がいて、今回の卵子の母が実の親でないという判決がでる前に既に米国の子宮の母が私の子でない、と米国の確定判決を持ってるからややこしいのです)。我が国の民法は何を重視してるかといったら生まれれくる子供の養育を誰に任せるのが適当か、という観点があって(772条も300日規定も再婚禁止期間もすべてそうです)、代理母の場合は、向井さんの事例のように必ずしも母子関係が簡単に確定しない、つまり卵子の母に分娩の事実が無いので外観上誰もが判るような明確な母子関係になるとは限らず、生殖医療の結果生まれれきた子に対しても本来なら自然に生まれれ来た子と同一の法律上の扱いと同じにすべきなんですが、それが出来ない。できない限りは、私は代理母という手段はやるべきではなかったのではないか?という気がずっとしています。


以下、さらに関係ない話。
産む自由、産まない自由で、ちょっと付言しておきたいのは、ネット上の知人からサジェスチョンを受けた羊水診断のことです。母親の子宮のなかの羊水を抜いて、胎児に遺伝的問題がないか調べる方法があり、それを羊水診断といいます。それ自体は規制してないのですが、問題はその結果中絶を認めるか否かであったりします。言い換えると、欲しい子供のときだけ産むことが可能な自由があるか、女性の産む自由というか自己決定に含まれるかどうか、という点です。仮に遺伝上問題があった場合などに、中絶は、基本的に母体保護法の14条を根拠にどうも事実上行われているようです(実は詳しく調べていません)(ただ、家族計画を目的として堕胎をしてもたぶん不可罰であって、だったら尚更規制するのは難しいはずです)。これらの問題は、たぶん、生命の質に差をつけるものであったりします。つきつめると、重度の障害や病気をもって産まれる可能性のある子を産まない自由をというのを認めると、重い障害をもって生まれた子の生命を奪ってもなんら問題がない、という結論に陥りやすくなるのです(しかし生まれた以上は殺人罪に問われます。差は母体の中にいるかいないかの差ですが)。また、何らかの遺伝子の異常を有する胎児の中絶が容認されたりするような胎児の人為的選別というのは倫理上許容されるべきことなのでしょうか。
女性の自己決定権があるのは判らないでもないのです。で、母体保護法がそれを黙認してる以上は確かに問題はないのですが、生命をコントロールすることが本とにいいことなのかどうか、ちと、判断が私にはつかないです。