代理出産向井亜紀さんの双子、最高裁が実子とは認めず

タレントの向井亜紀さん(42)と元プロレスラーの高田延彦さん(44)夫妻が、米国での代理出産でもうけた双子の男児(3)の出生届を受理するよう東京都品川区に求めた家事審判で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は23日、受理を命じた東京高裁決定を破棄し、申し立てを退けた。出生届の不受理が確定した。
決定は「現行民法の解釈としては、女性が出産していなければ卵子を提供した場合でも法的な母子関係は認められない」との初判断を示した。
決定は4裁判官全員一致の意見。代理出産の適否には言及せず「今後も民法が想定していない事態が生じることが予想され、立法による速やかな対応が強く望まれる」と異例の言及をした。夫の精子と妻以外の女性の卵子を使った「代理母」のケースでは、最高裁が05年に法的な実の親子関係を認めない決定を出していた。今回は夫妻の精子卵子を使う「借り腹」と呼ばれる方法で、判断が異なる可能性もあったが、いずれも認められないことになった。夫妻は米国で代理出産を試み、03年11月に双子が生まれた。米国ネバダ州の裁判所は夫妻を法的な実の親と認めており、審判では、この裁判の効力が日本で認められるかが争点となった。
第2小法廷は「日本の法秩序の基本原則や基本理念と相いれない外国判決は公の秩序に反して無効」とした97年判例を踏まえ、ネバダ州裁判の効力を検討。「民法が定める場合に限って親子関係を認めるのが法の趣旨」とした上で「民法が認めていない場合に親子関係の成立を認める外国の裁判は公の秩序に反する」との判断を示した。その上で「出産した女性が母親」とした62年判例を引用。「親子関係は公益と子の福祉に深くかかわるため、一義的で明確な基準により決められるべきだが、民法には子供を出産していない女性を母と認めるような規定がなく、母子関係は認められない」と述べ、効力を否定した。
双子は「保護者同居人が日本人」という在留資格を得て日本で夫妻に育てられている。実の親子関係に近い「特別養子縁組」が認められるなどすれば、日常生活に大きな支障はないとみられる。【木戸哲】

3月23日付毎日新聞より転載

えっと、どこから説明したほうがいいでしょうか。
明らかなのは
「現行民法の解釈としては、女性が出産していなければ卵子を提供した場合でも法的な母子関係は認められない」
ということです。
代理母については適否をさけてるようです。
子宮を摘出しつらいかもしれなかった決断を下した向井さんには酷な結果となってしまいましたが私は妥当かな、とおもいました。


論点を整理します。
究極的には向井さんが戸籍上の母親になれるかなれないかなのですが、直接的な論点は向井さん高田さん夫妻を子供の両親とするネヴァダ州の判決を承認できるかどうかです。向井さんと高田さんはネヴァダ州の裁判所で向井さん夫妻と子供には血縁関係があり親子と認めるとする判決を貰っててその裁判所の判決が日本で承認されるかが裁判の争点でした。ネヴァダ州でこういう判決が有ったんだから、品川区役所は認めてほしい、といってたわけです。
で、それについては最高裁は今回ノー!の判断をしました。
承認の条件は民事訴訟法118条3号に書かれていて
「判決の内容及び訴訟手続が日本における公の秩序又は善良の風俗に反しないこと」
ってのが重要でした。つまるところいわゆる公序良俗に反しない、日本の社会通念上の基本的価値や秩序に混乱をもたらさないことが承認の条件です。
(断定は出来ませんが97年判例は萬世工業事件(平成9年7月11日第二小法廷判決)かとおもわれます。けど間違えてたらどうしよう。けど書いちまえ。この事件は米国の裁判所が判決した懲罰的賠償を日本国内で取り立てることが出来るかが裁判で争われ、米国の法律が定める懲罰的賠償制度は罰金などの刑罰とほぼ同様の意義を持つので日本の損害賠償制度の基本原則や理念と相いれないゆえにわが国の公の秩序に反し外国判決を無効とした判例がありまして今回はそれをふまえて)最高裁は「民法が定める場合に限って親子関係を認めるのが法の趣旨」とした上で「民法が認めていない場合に親子関係の成立を認める外国の裁判は公の秩序に反する」との判断をしたのです。さらに分娩の事実によって母子関係を確定するとした62年判例最判昭和37年4月27日民集16−7−1247百選27)をそのままスライドして子供を出産していない女性を母と認めるような規定がないゆえに母子関係は認められないとしています。


なお東京高裁は代理母出産はわが国における民法上の公序良俗民法90条)に反するとしつつも日本の民法における母子関係認定は「分娩者が母」であるという原則を崩さずに外国の判決を承認することで向井さんを法律上の母とすることを可能という法的構成をしていました。どうも裁判所は分娩の事実が母子関係を確定するという原則をやはり崩したくないようですね、それが一番わかりやすく明快だからだとおもうのです。私も崩さなかったほうが良いとおもいます。




ちょっと飛ばし書きですが、後日キチンと扱いたいとおもいます。