宮仕えしている限りはやむを得ないのですが、しちめんどくさい状況に陥ることがあります。高圧的な相手とねばり強く交渉をしつつこちらの主張をどうやって通すかということに苦心してて、どこにどう着地させるべきか迷いつつ、そのうち高圧的な相手の下にいる人からアプローチがあって連絡を取ってほどほどの妥協点を探したりとか、2013年ころはそんなことをやっていました。
その頃テレビであるとかあちこちで流れてたのがAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」で、歌詞の中に

未来はそんな悪くないよ

っていうところがあって、でも聴いてるこちらはしんどかったから「ホントかよ」とこっそりツッコミを入れてました。
正直に書くとAKB自体にはあんまり興味がなく、たとえば指原さんという人が誰だかよくわかっていません。でも「恋するフォーチュンクッキー」はメロディがなんだか記憶に残りやすかったのか、2018の紅白を聞き流しながら正月の準備というかヤツガシラを下茹でしていたのですが、ほぼそらで歌えました。と同時に、メロディって昔の記憶を数秒ふと引っ張り出すっていうか、ヤツガシラに目線を向けていたはずなんすが、でもいまそこにない2013年のしんどかった日々をちょっとのあいだ、みていました。
なんだろ、メロディって急に過去の記憶を呼び起こしたりしませんかね、そんなことないか。

2019年当座の抱負

一昨年の秋の異動以降、閑職ではないけど職務ではその前の7年間ぐらいに比べてハードではなくなっています。これが嵐の前の静けさなのかこのまま凪状態が続くのか正直わかりません。でもその状況を奇貨として消化器科や皮膚科のドクタから貰ってる警告というかアドバイスである「ストレスをためたりせず、あまりがんばりすぎないように身体を休めて」というのを守ろうとしています。書くとすっごく簡単そうで、でも実際にはすっごく難しいです。なにがストレスかって自分でもよくわかっていませんし、がんばりすぎないようにっていってもやるんだったら全力だし状況が「がんばらない」という選択肢を許さないときもあるので手探りです。睡眠時間を意図的に長くとるようにしたりとか、小さなことから手探りながらも変えてます。幸いなことに皮膚科系というか去年から今年にかけて悩まされた蕁麻疹のほうはほぼ収束しています。比較的健康な環境を維持しつつ再発しないように来年も模索します。
すべてが巧くいったわけではありません。致命的な失敗はないけど想定していたよりいくらか時間がかかったりいくらか手間がかかったり、ということがあったりしました。自省的なことを書くとおのれの予想と実際が違ったわけで、ヤキが廻ってるっていうか正確に対象物がみれなくなってしまって、もしくは経験にとらわれて予想を立てるのがヘタになってたわけで。ちょっとずつそういうことが出来なくなってゆくのだろうかと不安なのですが、なるべく正確に事象を見極めて経験にとらわれないようにしたいと思っています。書くとすっごく簡単そうで、でも実際にはすっごく難しそうですが。
はてな今週のお題が「2019年の抱負」です。
今月、遊びに来ていてテレビを見ていた相手に台所で料理中に、冷蔵庫の中にあるボウルをとって欲しい、とお願いしました。ちょっとしてからボウルは持ってきてくれたのですがもう片方の手には冷蔵庫用の脱臭炭をもっています。え?という顔をすると
「これってさ」
といって目の前でカバーをとって
「外装のフィルムをはがすだけじゃなくて中のアルミのフィルムをとらないと効果ないって知ってた?」
と説明してからアルミのフィルムを外しました。脱臭炭をそのままつっこんだだけで変えたつもりでいてアルミをとってなかったのです。うわああああやっちまったあと思いながら、いや、あのそれは知ってるんだけど、と言おうとして言えばいうほど恥の上塗りになってしまう気がしてならずとりあえず小さく、あ、ありがとう、と答えたら満足したらしく、たまに不思議なことするよね、といって冷蔵庫に戻してくれたのですが、けっこうこっぱずかしいものがありました。恥ずかしい経験をすると人は強烈な記憶が残ります。2019年の当座の抱負としては「冷蔵庫用脱臭炭を新品に変えたら必ずアルミを外す」と「こっぱずかしい基本的ミスをしない」がいまのところいちばんでかいです。前者はまるでおとなの抱負ではなく、後者は書くとすっごく簡単そうで、でも実際にはすっごく難しそうですが。

旗と航行の自由

大学を出て20年は経過してるのでうろ覚えで恐縮なんすが、国際法の勉強をしたときだったか、無害通航権という言葉を習った記憶があって、商船でも軍艦でも潜水艦でも商船旗や艦旗、国旗を掲げれば平和と秩序と安全を害さない限り領海内を通行できます。また、公海上などを航行するときは基本的に商船旗や艦旗、国旗を掲げるように慣習法上はなっています。軍艦でも商船でも汽船でも、です。なにがいいたいかというと、旗って重要なんです。ちょう粗い言い方をすると旗がないと不審船扱いされても仕方がない。
で、公海上は軍艦というのは秩序維持の責務があります。確か明文ではないのですが国旗のない不審船を見かけたら慣習法上は臨検が出来ますし、してきました。そういう責務を負ってるので軍艦をみたら商船は旗を上げ下げして敬意を表します。でもって基本は英国だろうとアルゼンチンであろうとインドであろうとどこの国も軍艦は・日本の場合は護衛艦は、公海であっても領海であっても航行中は基本、艦旗等を掲げます。公海上での秩序維持の責務があるのと、無害通行権との関連で他国の領海通過しても他国の安全を脅かす意図のないことを暗示的に明らかにするためです。
能登半島沖の隣国の駆逐艦が日本の哨戒機に対してレーダーを照射したときの哨戒機からの映像、というのを観たとき、(日本の護衛艦は停泊中も基本艦旗を掲揚しているのをみちまってるので)国旗がないことにかなり違和感を覚えました。国旗を掲げていない駆逐艦に哨戒機がレーダーを照射されたのなら哨戒機が問い合わせをする、というのも理解できます。それに応えないのも相当無礼な話です。旗に話を戻すとなぜ国旗を掲げなかったのは謎なのですが・正直あまり政治的な話をしたくはないのですが、明文化されてなくても航行の自由を守るためのルールはルールなので、隣国にせめて旗を掲げるくらいの順守を期待したいところなんすけど。

ある雑誌のこと

錦糸町もんじゃ焼き屋があってそこで同性二人でデートしたあと、錦糸堀のラブホテルに入りました。錦糸町とか錦糸堀って当代の円楽師匠がフライデーされたあたりです。部屋の写真があってボタンでどの部屋が良いかを選べて、鍵は手渡しでした。でも鍵は渡されませんでした。そのとき「ああ、男二人はダメ」ってなことを云われちまったからです。想定していないことをが起きると、けっこう言葉って出てきません。「わかりました」っていってその日は手をつないで錦糸町の駅へ戻りました。こういうとき、かける言葉ってありません。いまだったらネットで検索できますが90年代の前半から半ばにかけては記憶に間違えなければPHSもなくもちろんいまほどネットが普及してるわけでもない時代です。なおかつ二人ともゲイタウンと縁がないので、同性二人でラブホテルが基本NGということを知らないままお風呂でいちゃいちゃできると確信して突進して傷ついていたわけで。後日湯島と上野にあることを知りました。なんで知ったかといえばまず広告目当てでゲイ雑誌を買ってそこに情報がなく、さらに当時ダイヤルQ2というのがあって見ず知らずの人と会話ができるのがありその雑誌にゲイ専用のものが広告であるのに気が付きメモして公衆電話からかけて全然知らないゲイの人から訊き出したのです。いまから思えば逢いもしない相手によく教えてくれたと思います。そこまでして「したい」のか、っていわれるとしんどいですが、ダメっていわれた後の顔をみて、やれることってそれくらいだったわけで。
その頃は親が自室に入ってくることがあったのでゲイ雑誌のようなものはそれまで買ったこと無かったけど必要に駆られてはじめてゲイ雑誌を買ってます。見つかると大ごとになると考えてカギのかかる引き出しに入れ、初志貫徹したらもちろん即捨てました。そのとき手にした・即捨てたのが休刊するゲイ雑誌のBadiだったかどうかはわからないです。
その後散発的に片手の指にちょっと足らないくらいはゲイ雑誌のBadiを買ってます。ゲイ雑誌には広告以外にちゃんとグラビアがあってモデルの人がポーズなどをとってはいて、しかしどちらかというと筋肉のつきにくい細めの身体つきなのでそれら写真は劣等感を刺激するものでしかなく、いまでもはっきり覚えてるのはその劣等感を覚えたことと田亀源五郎先生のマンガくらい。なんとなくゲイ雑誌のターゲットに自分は入ってないんだなと悟ってここ10年以上は買っていません。マツコ・デラックスさんはテレビで知ったクチです。ですからBadiというゲイ雑誌が休刊になるというのを今日知ったのですが、なにかしらの感想を云えるわけでも・特別な感慨を述べるほど思い入れはありません。
ただゲイ雑誌が年齢層高めの一誌だけになってしまうというのを知ると、手に取るより前に本屋の片隅にゲイ雑誌があることだけは知っていて≒ゲイという存在が見えないけどいることは知っていて、10代後半で同性とキスしたいというのは小説の世界だけではないのだな、ということは理解していたほうからすると、時代の趨勢とはいえ手に取ることが可能な本の選択肢が消えることは惜しいなあ、というのがあったり。買わなかったので云えた義理ではないのですが。

不幸と幸福

今夏の性的マイノリティに関する比例選出の代議士の論文に関して23日付の毎日新聞ロバート・キャンベル先生の記事が載っていて、その論文に関して一読して問題点が多すぎ正面から指摘する必要はないとしていたものの当事者として見過ごせなかったのは性的マイノリティを「不幸な人」と呼ぶ点であった、と書かれていました。
さて性的マイノリティでなければ幸福なの?というとよくわかりません。いまは性的マイノリティであって性的マイノリティではない経験がさしてないからです。理屈ではなくパエリアとかでもメシを作ったらそれをきれいに完食してくれると嬉しいし幸福感がある、というのもありますが、そういうのは横に置いておくとして、すごく個人的なことなのですが、知らず知らずのうちにやっていた上目遣いっぽい癖をなおすとか卵に限らず苦手意識があってもとりあえずチャレンジするとか甘やかすだけではない同性と付き合うことで私は変化しています。同性と付き合うことでいまの自分がありますし、おのれをかたちづくる芯のようなものは同性とつきあうことで形成されたところがあるので(対外的に公言することはないけどおのれの存在を肯定してくれるというのはけっこうでかくて)おのれの身をすくなくとも不幸といえる状態にはないと思っています。なにが不幸でなにが幸福か、というのはけっこう線引きが難しいし、てめえの尺度なんざきいてない、と怒られそうですが、でも性的マイノリティ個人が幸福か不幸かは性的マイノリティ自身が決めることであって・性的マイノリティに限らず個人が幸福か不幸かどうかは個人が決めることであって、第三者がその属性などによって幸福か不幸かどうかを決めるものではないはずのことです。キャンベル先生とはまったく違う道を歩んでいますが、性的マイノリティを不幸な人とすることについては見過ごせない、という感覚もなんだかよくわかる気がしました。
毎日新聞はキャンベル先生ほか当事者の声を紙面に載せるにあたり代議士事務所にコンタクトを取ったようなのですが回答を差し控える旨の連絡があったそうで、対話も成り立ちそうにないようで。いまの世の中には多様性のある社会ってお題目は素晴らしいのですが、目の黒いうちはそんな世の中来そうにないかもなんすが。
あんまり大上段に構えるつもりはないのですが、不幸とか幸福って、なんすかね。でも繰り返しになるのですが、他人が決めるものではないような。幸福か不幸かを第三者が決める発想自体、相当変だと思うのだけどなあ。

ケチ

ずいぶん前の親戚の葬儀の席でのこと。金銭出納を任されたことがあって親しい従兄弟に来客用のペットボトルのお茶やちょっとした菓子をまとめて買ってもらったあと、その直後にそのやりとりをながめていたらしい別の親戚が、〇〇ちゃん(わたしのこと)のところに領収書を持っていけばお菓子やジュース代を払ってくれる、と自分のところの子に云ったそうでファミマの領収書を持ってきたことがありました。咄嗟になにを云ってるのかわからず「え?」と訊き返したのだけど、個人で消費するジュースやお菓子が葬儀と関係ありますか、という一点においてもちろんそんなことは許しませんでした。結果的に恥をかかされた親戚にいくらか恨まれたのですがどこで恨みを買うかわかりません、ってそれはともかく、この場合、私がケチなのか領収書を持ってきた親戚がケチなのかわからなくて、でも世の中にはこちらが想像できないケチがいる、ということは強烈に印象に残りました。
死んだ父から「貰い酒に慣れると品性がいやしくなるからするなよ」という不思議な忠告を「屋台で生ものを喰うなよ」というのと一緒にうけてて、拡大解釈してなるべく他人の財布をアテにしない・ケチな真似はしない生き方を貫いてきました。でもって再逮捕されたコストカッターとよばれた人物が外出時にのどが渇いて部下に買わせた水を会社持ちにしていた、というのを毎日新聞で読んで(それが部下の分を含めてならわからないでもないのだけど)、それくらい自分で出せばいいのにと思いつつ不思議とその吝嗇ぶりがなんだか笑えてきてしまい、身銭を切らない人は徹底的に身銭を切らないのだなあ・ケチというのはほんと想像以上にケチなんだなあ、という文字にすれば至極あたりまえの感想を持ったのですけど。
もっともnanacoを持っているので8の付く日にヨーカドーで5パーセント引きになるのを狙ってケチャップだとか砂糖だとかの調味料を買うので、ケチといえば私もどちらかというとケチなほうで目糞鼻糞を笑うでもあるのですが。