『古文書返却の旅』を読んで(もしくは江戸期の輪島について)

小さい頃に塩山という街へよく行っていたのですが、高尾から先、塩山の一つ手前の勝沼まで中央線はずっと山の中で、その勝沼は駅からぶどう畑が見えます。日本史などを勉強するようになると機械的に墾田永年私財法とか覚えさせられたのですけど、あの勝沼のぶどう畑は墾田に入るのだろうか?というバナナはおやつにはいりますか?的な疑問を抱えたまま育っています。もっと謎だったのは勝沼の手前の山の中なのですがそれは横に置いておくとして。いまから思えば私が勉強したころの日本史は稲作が中心の歴史であったのですけどその稲作中心の日本史をどちらかというと批判的にとらえていたのが網野善彦という二十年近く前に亡くなった山梨出身の歴史学者で、数年前に偶然手にしてからこちら、網野さんの著作を見つけては時間があるときに読んでいます…って相変わらず前置きが長くて恐縮です。

ここで 

お題「この前読んだ本」

を引っ張ります。

去秋『古文書返却の旅』(中公新書・1999)という本を読んでいます。戦後、網野さんが所属していた常民文化研究所は水産庁の委託をうけて霞ヶ浦や伊予など各地の漁業資料の古文書を借り資料を集めていたものの、結果だけ書けば各地から借りた漁業資料がすべてきちんと返却されていない事態に陥り、本書は単純に書けば網野さんが文字通り未返却の古文書について各地へ頭を下げに行った記録で、単純じゃないように書けば霞ケ浦や伊予などの海に関する地方史を浮き彫りにしています。

さて本書は全十二章のうち二章を能登輪島市曾々木の時国家(主に上時国家)について割いています。詳細は本書をお読みいただきたいのですが、上時国家へ文書を返却した折にさらなる文書の存在を知らされ調査を進めることとなり、寒村の豪農であるとおもわれた上時国家は船(廻船)を五艘持ち(P91)、時期によってはその船はサハリンまで行き交易をおこない(P99)、他にも塩浜経営(≒製塩施設経営)や鉛鉱山の経営のほか河川における鮭漁(P92)などを行っており、身分は百姓でも本書の言葉を借りれば多角的企業家であること、加えてそのような船(廻船)を持つ家は上時国家に限らず近隣に複数あったことなどが判明します。地図上では山がちで寒村にしか見えぬ輪島は田畑をそれほど必要とせずとも生きて行ける都市的な様相を帯びた地域であったわけで。

これらのことから網野さんは近世社会を理解するキーワードである士農工商は虚像であると喝破し(P102)、江戸期は農業社会ではなく経済社会ではなかったのか(P102)と問うているのですが、(個人的なことを書いて恐縮なのですが田畑があまりなくても織物や行商で生きてゆけたであろう山梨を想起するととくに後者は)理解できなくも無かったり。

不幸にも能登地震が起きてしまい、それに付随して能登の復興について多様な意見があるのは知っていますが、本書を読む限り歴史を振り返ると能登は豊かな土地でした。そして輪島は(戦後すぐに漁業資料を借りに行くほど)以前から漁業が盛んなところです(特にフグ)。関連する本を読んだばかりという贔屓目もありますが、必要十分な復興の施策がなされることを願うばかりであったり。