読書の時間

東京には丸善という大規模な本屋があるのですが昨今の営業自粛要請の波を受けて勤務先に近い日本橋のほうは閉鎖中です。通勤に使っているJRの沿線のいくつかの駅には本屋もある商業施設の入っている駅ビルがあるのですが、食料品と薬局以外は片っ端から閉まっています。少し前まではあらかじめ探したい本があるとかないとか関係なく退勤時にふらっと本屋に寄れたのですがそれもかないません。本屋が閉まっているというのはなかなか寂しいなあ…、これが長期戦だと厳しいなあ…と思っちまいますって、なんとなく話がまた不穏な方向に進みそうなので読書に関するくだらない話をします。

桂文枝師匠の三枝時代の根多に読書の時間というのがあります。ある事情で内容と関係ない本の表紙をかけていて、それを知らずに子供が学校で読書の時間のためにその本を持ってゆきます。先生に「何を読んでいるんだ?」指名され「竜馬が行くです」と答えると「じゃあ声に出して読んでみろ」となり、元気よく「ぬけるような白い肌、柳のような細い腰をぐいと引き寄せ…」と読み上げます…とこの先は・詳細は・なぜそうなったかは落語を聴いていただくとして、たとえ表紙と内容が異なっていたとしても、(子供にそれを期待するのは難しいですが)ミスを防止するためには開いて最初のページを確認すれば防げるわけで、でも他人のそのテの失敗は笑えるので「ははは」と笑っていたのですが。

青春ブタ野郎シリーズ」を読んだ話をここでさんざん書いた記憶があります。青ブタはラノベなので表紙が若干、刺激的です。「プチデビル後輩の夢を見ない」であればミニスカかつ生足の女子高生おしりから悪魔の尾が生えて背中には翼が生えていますし、「ハツコイ少女の夢を見ない」に至ってはミニスカで生足で学校の机に座る女子中学生をいくらか下から眺めるアングルでスカートの中は見えないもののでセーラーの上着が風に吹かれて腰のラインがちらっと見える表紙です。でもってまとまった時間となる通院先の待ち時間などを青ブタ用の読書の時間にあてていたのですけど40半ばのおっさんにもそこそこ恥じらいがあって、それらの表紙のまま待合室や検査室の前で読むだけの度胸はさすがにありません。なので表紙が穏当な本のブックカバーをひっぺがし、それを再利用して掛けていました。(青ブタは店を変えていたものの)それまで同じいつもの駅ビルの本屋で本を買うことが多かったものですから似たようなブックカバーが並びます。なので読みたい本とは違うの本を持ってきてしまって、「さあ読むぞ」と期待を膨らませながら待合室で本を開いた時点で気が付いて、うわあああああああああしっぱいしたあああああああ、と声は出せぬものの悶えたことが一度ありました。開いて最初のページを確認すればわかることなのですがそれをしなかったので、以降、読書の時間の落語をちょっと笑えなくなっています。

話がいつものようにとっちらかって恐縮ですが、住んでる街の本屋が開いてるかどうか・本屋へ行くのが不要不急の外出になるかどうか確認してないのですが、伊井圭という作家に興味を持ってて散歩がてら本屋にそのうち本を探しに行く予定です。読書が趣味です、と云えるほどたくさん本は読んでいません。上記のように失敗したことはあるものの、読書をすると決めた読書の時間に読書に没頭する行為、もちろん本を読むのは好きです。最初にループするのですが、その本を調達するためのよく寄る本屋がどこも開いてないってやはりちょっと寂しいなあ…