偽ヤンニョム

おそらくその現象は関東だけだと推測するのですが、住んでいる街のスーパーは納豆が2月末からずっと不足気味です。あっても個数制限がかかっています。こめかみに小銃を突き付けられて「喰え、さもなくば殺す」と云われない限り、食べれないことはないけど手を伸ばそうとは思わないアイテムのひとつなので私は困ってはいません。ただずっと不思議だなあ、と思ってて、寝る前のどうでもいい不要不急の電話をしてるときにそのことに触れたら電話口で少し沈黙の後「一都六県のなかで一番最後まで茨城は新型コロナ感染者がでなかったからじゃない?」という解をきいて「へええ」と一度は納得してました。でもいまのところ岩手のじゃじゃ麺のキットが品薄になってないので、いまから思えば電話口の解はほんとはボケで、突っ込むべきところだったのかな、と思っていますって、話がずれた。納豆はご飯のともとして簡易だからでしょう。

はてなのお題が「#おうち時間」です。でもって家に居る時間が多い≒「おうち時間」は本格料理にもってこいなのではないか、というのがはてなの提案のようなのですが、納豆の品薄状況をここ一か月半ほど眺めてると、ほんとのところはわからないけど本格料理に取り組める余裕がある人は少数派なのでは?って、他の人の台所事情の人力詮索はともかく、この状況下でも出勤せざるを得ない部門に属してていくらか疲弊してて、丁寧な生活であるとか、そして丁寧に妥協せずきちんと作る本格料理を作る余裕は私は恥ずかしながらあまりありません。

たとえば今週の木曜はコチュジャン、ケチャップ、醤油、砂糖、酒(この比率は等分でもいいし辛くしたければコチュジャン多めに)にチューブのニンニクを合わせて韓国のヤンニョムのたれに似せた偽ヤンニョムのたれを作り、それで豚コマとタマネギを炒めてキャベツを添えてます。偽、とかいたのはソウルなどにおける本格的なヤンニョムのレシピを知らないので偽ヤンニョムです。去夏から土井善晴先生の著作や新聞の記事を目にするようになってから、くだらないことを書くと疲れてるときに脳内に家庭内の味の自由さを許容する土井先生が降臨することがあります。いちばん最初に偽ヤンニョムの炒め物を作り口にしたとき、ひとくち目で脳内の土井先生が「こんなんでええんですわ」とささやいたので、偽ヤンニョムでもいいや、と割り切って作っています。実際、偽ヤンニョムの炒め物でも出来立ては食が進みます。人体実験済みです。

岡山県の伊原木知事が「5月6日に終わるとは思わない、長い闘いを覚悟して」と発言していたのを知りました。シビアな状況が続いているので私も連休明けに事態が好転するとは思っていません。丁寧なレシピに沿った料理は事態が好転してからのお楽しみにとっておき、偽ヤンニョムの炒め物を含め、しばらく脳内の土井先生が「こんなんでええんですわ」とささやきそうな、くたばらないで済むように食が進みそうなものを作るつもりです。