「電気羊かってなかった…」3

天使のわけまえという言葉をご存じだろうか。ワインを熟成させるときにナラの樽に詰めるのだけど、時間の経過とともに樽の中のワインがナラの木目から蒸発して以前より目減りしてしまうことがある。その目減りした分を天使がこっそり呑んだことにして、天使のわけまえと称してる、んだけどでもこれって濡れ衣もいいところだよね。なんでそんなこと知ってるかって?この前デートで小樽のワイナリーへ行ったとき、にわか勉強したから。でね、理屈として酒が減るのが樽ならわかる。小樽で買ったワイン、もちろんガラスの瓶に入っているのだけど、昨日より確実に減ってる。まさか留守中に天使がはいってきて呑んだのか?なんて濡れ衣まがいのことを考えたところでふと机の向こうの電気羊と目があった。間髪置かずに目をそらされた。そして電気羊が、千鳥足で、逃げようとしている。

貴様か。

人間がワインを飲んでええ気持ちになってるのをみて、よしおれもとなったのか。くれ、と云われれば呑ませてよいかな、という気にはなるけどこっそり呑もうなんていい度胸しとるじゃねーか。とっつかまえて今日こそジンギスカン鍋にしてくれるわ。よし、ベル食品のタレを探そう、としたところで酔いが醒めた。

電気羊かってなかった…

野暮な解説を続けます。 歌舞伎の演目に身代座禅というのがあります。どういう話かの詳細は願わくば歌舞伎座などでご覧いただくとして、登場人物がうそをついた相手を怒る・うそをついた相手を成敗する場面があります。それが不思議と笑えてくるのです。その記憶を引っ張り出してもしかして怒りという心の動きは傍からみたら笑えるものなのだろうか、なんてことを考えながら(状況を写生することをこころがけて)書いてました。

書いたあと、おのれに火の粉のかからない他人の怒りというのは野次馬として安心して楽しめるのかもしれないな、などと気がついたのですが、つまるところこれを書いてるヤツは野次馬的なところがいくらかあったりします。書くということはおのれの知らぬどす黒い部分を再発見するいい機会でもあったり、って、おれがおのれをよく知らないだけかもしれぬのですけど。