孝行をしたいときには親は無し

父の日が近いのですが父は私が20代のときに病死していていまは縁がありません。いまは隣県の墓地に眠ってて十七回忌も終わってます。はてな今週のお題は「おとうさん」なんすが、父は仕事第一であったところがあります。たとえば父が血液疾患由来の病気で体調を崩して入院したときも「仕事を休んで病室に見舞に来るくらいなら働いてろ」「仕事帰りに寄らなくていいから早く帰って明日に備えろ」というのが父の主張で、病室に顔を出すと不機嫌になることがありました。子としては病状が病状だったのと食欲不振だったので休みはしないけど洋梨ゼリーとか水ようかんとかツルっといけるのどごしのよさそうなものを見繕いつつ時間をひねり出してちょくちょく顔を出すとそれらは見事完食してて、父も我を曲げてそのうち不機嫌も収まってきました。でも父の不機嫌が収まったもののその状態は長くは続かず、結果として血小板減少症が父のとどめを刺してます。容態が急変するぎりぎりまで普通に病室で会話をしてて、最後の会話は確定申告の時期だったので税金に関する事務的な打ち合わせです。ドラマチックな親子の永訣の別れとは無縁です。双方それが最後になると思っていなかったのでそんな会話しかしてません。ですからこの先、三途の川を渡って父のもとへ行くことがあったならまず税金の報告をしなくちゃだったりします。
急に父が居なくなってしまったので、もしかしたら世の中の父子がしてるかもしれないことをやっていません。たとえば私は父とサシでお酒を飲みかわしたことがありません。大学在学中はほぼバイトと大学で日々埋め尽くされ、就職してからは大阪と名古屋にいた時期が長かったのでその機会がなかったのです。いつだったか先代の松本幸四郎丈と染五郎時代のいまの幸四郎丈がビールを飲みかわすCMがあって、それをみてから「ああおれ親不孝だったのかなー」と反省したのですが、時すでに遅し。以降、父の命日の近くの墓参のときには最寄りのサティだったイオンで2缶ほど小さいサイズのラガービールを買って持って行ってます。1缶はその場でこぼしてもう1缶はその場で飲み干してます。墓地で飲酒なんて不謹慎と承知の上なんすが、親孝行できなかったせめてもの穴埋めであったり。
孝行をしたいときには親はなし、といいますが、十七回忌をとうに過ぎたいまでもそのことばにちょっとだけ抉られます。