自慢に関して

前にも書いたかもしれないのですが、10代の途中まで絵を描いていたものの世の中にはすごい人がいると知ってその道に進むのを諦めています。この経験は上には上がいる、というのを思い知るには充分で、以降世の中にはもっとすごい人がいるという意識があります。付随しておのれは大したことが無いという低い自己評価の螺旋階段を降りてゆくことになるのですが、それは横に置いておくとして、私は雑魚というか自慢するほどの技術を持ち合わせていない、という意識がけっこうあります。話は飛ぶのですがお気に入りのネクタイがあります。しかし作ったならまだしもそのネクタイは自分の本質には関係ないことであったりします。それを所有したとしても自慢にはならない、と思っています。それらの気質があるのでたぶん、自慢というのをほとんどしていないです。故に自慢というものにまつわる心の機敏を理解していないので人としてなにか欠けてるところがあります。
厄介なのは仕事上の付き合いなどで目の前にいる人の自慢が「だからなんなのだ?」というレベルであったり・どれくらいすごいのかよくわからないときは、たまに言葉に詰まります。自慢するというのは褒めろという裏返しと理解してるので、羨ましがったり「おおそれはすごいですね」とお追従を云えば良いのですが、なんでそんなことをしなければならないのか、という意識が先に来ることがあります。テキトーに取り繕いながら・うまく誤魔化しながら・ソトヅラヨシオさん的に生きてきたのですが、そういう事例にぶち当たるたびに反面教師として「ああいうふうにならんとこ」という蓄積だけは増えてます。ただこれらの態度はなんの解決にもなりませんが。
蓄積が増えてひねくれてしまってるのかどこか自慢というのは「野暮だよなあ」という意識が抜けなかったりします。例外は魚釣り系の自慢です。同僚に居るのですが、ほんとに子供のように生き生きと計算なく語るせいか聞いてても飽きません。計算のない経験に裏打ちされた自慢は物語性があるのかもなんすがって、それはともかく。人としてなにか欠けてても・心の機敏が理解していなくても、いままで生きれこれたのでこの先もなんとかなるかな、と思ってるのですが、どうだろ。