明徳星陵戦

私を含め今ちょうど40代前半に差し掛かってるとイチローや松井が同世代であったりします。彼らの出身校である愛知工大名電とか星陵って名前はあんがい記憶していたりします。もちろんそれ以外の強豪校、鹿児島実業とか東海大相模なんてのも懐かしい響きです。いまはおっさんになり果てた同世代でもガラスの十代のときがあり、案外、同じ試合をみてることがあります。たとえば二十数年前の夏の甲子園で高知の明徳義塾と石川代表の星陵が対戦した試合です。髪をお願いしているお店の担当してもらってる同世代の人も不思議と覚えていました。
その明徳対星陵戦で、星陵に4番で居たのが松井選手です。明徳側は第1打席・第2打席と敬遠策をとりました。星陵の松井は強い選手であるとみんな知ってたのでそういう作戦もありだよなーなんて思ってたのですが回が進んでも一切その姿勢は変わらず、走者がいようといまいと明徳側は松井が絡む5打席すべて敬遠し、最後の打席でも松井は淡々とした表情で走塁し、結果として一度もバットを振らせてもらえないまま試合が終了しました。でもって松井封じが功を奏して明徳が勝ちました。場内は騒然としていたのも覚えています。
当時、同級生とその話題になると「作戦としてありなんじゃね?」「いや、あれはないよね」ってなことをしゃべってた記憶があります。明徳側の5打席連続敬遠ってのは当時の未成年だった私は「当たって砕けろ!的」なことが好きだったので「あれはないよなあ」と思っていました。でも大人になって社会人として働いてると「結果を出す為には、どんな手段でも使う」ってことに躊躇がなくなります。そうすると・いまとなっては、明徳の取った戦法はルールは守ってるし「勝つための」作戦としてはアリと理解できます。強者に真っ向勝負をしたら負けるかもしれないなら敬遠は正解です。強者でないものが強者に勝つためにやれることは真っ向勝負に出ず策を練ることしかありません。でもしかしいまでも「あれはないよなあ」と思うところがないわけでもないです。しかしおとなの狡猾さを覚えて実行してしまった今「テメーそんなこといえる身分なのか」というブーメランになってくるのでちょっと言えません。言えないのでこうやって書いたりしてるのですが。
「野球において勝利より大切なものはない」なら「結果を出す為には、どんな手段でも使う」ってのは当たり前のことで「野球において勝利よりも大切なものがある」なら「結果を出す為には、どんな手段でも使う」ってのはおよそ受け入れがたいはずです。正直に書けば野球って「勝利よりも大切なものがある」スポーツであってほしいところがあります。考え方がおっさんではなくお子様かもしれません。
はてな今週のお題が「高校野球」です。ついだらだらと書いてしまったのですが、二十数年前に視聴した高校野球をこんなふうにずっと引きずっていたりします。