勝ちに行く

野球というのには敬遠というのがあります。勝負を避けること、といえばいいでしょうか。むかし話になっちまうのですが、巨人阪神戦で槇原と新庄が対決したことがありました。そのとき絶好調だった新庄との直接勝負をさけるため、巨人はわざと四球にしようとしました。勝てそうな試合でもって相手に点を取られる・新庄に打たれるのは嫌なので、わざとストライクゾーンを通過しないような球を四回投げようとしました。そうやって敬遠して新庄を塁に出しておき、次の打者で三振なりなんなりでケリをつけようとしたのです。ところが当時の野村監督の許可を得て新庄はそのストライクゾーンを通過しないだろう球を当てに行き成功しちまいます。勝とうという執念がそうさせたのですが、野球が不思議なのはそういうことが起きるところです。
って話がずれたのですけども新庄のような例は他に記憶がありません。つか、野球だと「勝ち」にいくためにちょっとした勝負を回避するってことはよくあります。なんのことはない、時と場合によっては強い相手を前に体力だけではそれでは勝てないからです。


「勝つ」ことと「全力を尽くす」こととは同一ではありません。なでしこジャパンの試合でもある試合であとあとのことを考えて「引き分けを狙いに行った」ことがいくらか問題になりましたけど、常に清く正しく全力でなきゃいけないのか、っていったらそれは違うんではないかなあ、と思うのです。全力で戦うのは精神論としては決して間違ってはないのですが、それとは別に有限の体力と気力と技術力を駆使していかに生き残るか・戦うかのほうが、情勢に差異があるときは優先されるべきことなんじゃないのかな、と。オリンピックをあんまりまともにみてないのですが、新聞を斜め読みしててなんとなくそんなことを考えたのですが、でもどこか「正々堂々と」とか「負けてもいいから清く正しく目の前の試合を全力で」みたいな空気がどこかこの国を支配するのかな、なんて思いました。それがちょっと怖かったり。