(軽演劇について明かされた)欽ちゃんのアドリブで笑3

NHKBSでやってる萩本欽一こと欽ちゃんの、コント・軽演劇に関するノウハウを小倉久寛劇団ひとり中尾明慶といった俳優陣にワークショップ形式で教える番組の3回目があったので視聴しました。冒頭に「軽演劇」について「言葉ではなく動きで楽しませること」と定義していました。最初はぴんとこないのですが、視聴してるうちにうっすら理解できてきます。
3回目はまず警官の制服を裏表逆に着ている出演者に「なぜ裏返しに着てるの?」と疑問を投げかけ、アドリブで工夫して返答することを要求するところからはじめました。なおかつ「これだけは云っちゃダメ」というキーワードがあってそのキーワードを明かさない、他人のマネをしてはいけない、という制限付きです。欽ちゃんは「これを云っちゃダメ」というのを踏み重ねていくと磨かれてゆく・優れてゆく、というのを説明していたのですがそのようにして追い詰められてゆくとやはり機転の利いた答えが出てきます。なるほどなあ、と感心しちまったのですけど。いちばんの年長者の小倉さんの返答がさすがに優れていました。云ってはいけないキーワードは「衣装さんに着ろといわれた」だったのですが、さすがにそれは誰も云わなかったのですが。
次いでコント55号で使用した帽子屋というコントの設定を借り、セリフを自ら考えて通行人に帽子を買わせるようなコントを作ることをしました。詳細は別として、興味深かったのは中尾明慶という俳優さんが通行人をしていたとき(中尾明慶さんの名誉のために書いておくと俳優が本業ゆえにおそらくそういうようにするのはやむを得ないはずですが)歩く姿をカッコよく演技してしまうと間が無くなりつっこむ隙がなくなるのです。そこで欽ちゃんが全身をつかういわゆる「欽ちゃん走り」をしてみせて全身をつかって隙をみせる実演をすると間が生まれやはりコントっぽくなります。なぜ欽ちゃんが欽ちゃん走りをしてるのか理解できた気が。また、出演者に肩だけでなく腰を動かして芝居することを勧めていました。腰をつかう演技をすると肩だけで動く場合より深くなるという表現が妥当かどうかはわかりませんが踊りと同じく、やはり落ち着くのです。でもって最後の最後に「アドリブは中身がなくていい」というアドバイスをするのですけど、つまるところ根っこの部分は身体を動かすのをみせるわけで・演劇や芝居は言葉だけにあらずなわけで、そこらへんちょっと腑に落ちました。
後半戦はゲストの(かつてN響アワーに居た)若村麻由美嬢を迎えての、「別れてほしい」と女性が切り出したあとそのあとの男の動きを探求するワークショップです。セリフ以外のことは云うなという教育を受けてきてると告白していたのですが良い意味でとてつもなくくせ者の巧い女優さんで、水を得た魚のように生き生きと動きまわってました。でもって詳細は別として欽ちゃんは途中、「セリフでまとめようとするな」という指導をします。セリフを言うとそこで動きが止まってしまうから、という理由付きです(そこらへんからも根っこは身体を動かすことである、というのがなんとなく理解できます)。また興味深かったのはえらいこまかいところなのですが「別れてほしい」という女性を追っかけようとするときに男が草履を履こうとするのですけど「そのとき草履をみてはいけない」と諭します。「草履をみてしまうとおっかける相手より草履を愛してしまってることになるので草履を見ずに履け」、もしくは「履いてないことにしばらくしてから気がつくような芝居をするように」と経験則からアドバイスをしていました。芝居は言葉だけに非ず、というのがここらへんよく理解できました。芝居の演出に近いはずかもですが欽ちゃんの伝えたい軽演劇はちゃんとした芝居の上になりなってるのが理解できると、シロウト目にもその説明に説得力があって唸っちまいました。
さて、欽ちゃんの育った浅草の軽演劇はいまは有名ではありません。正解というのはいまのところ欽ちゃんの身体の中にしかありません。NHKBSのこの欽ちゃんの番組の難点は、欽ちゃんがすべて正解を握り、欽ちゃんが要求するものに対して出演者が反応することで、反応した出演者を通じて視聴者が欽ちゃんの云わんとしてることを理解するような複雑な構造をしています。実は3回目にしてやっとそれがうっすらわかってきました。中尾明慶さんは番組の中で草履をはく演技に関して俳優としては「草履をうまくはけなかったらそこはNGで」と自らの体験を踏まえて語っていたのですが、欽ちゃんの要求するアドリブはNGを深くしてゆくもので中尾さんは頭を抱えていたのですけど、小倉さんが「ドラマのNGをNGでないようにがんばるのが軽演劇なのかな」と巧く助け船を出してて、その言葉で私もなんとなく欽ちゃんの要求することの輪郭の一部が理解できた気がします。
月並みですが3回目も濃密で、「なんだかすごいものをみたぞ」感がありました。