文章が通じない怖さ

同じ日本語で書いてあるのだけどはてなで他人が書いてることが理解できないということを経験してから、おのれが書いてることも他人は理解できないかもしれない、ということを考えるようになりました。書かれてるものは書いた人の脳内そのもので、場合によっては同じ知識レベルを持たないとなにがなんやらになるわけで、へたすると他人が理解できない言葉を存在させる自分勝手な文章になるわけで、そうなるともうお手上げです。それを実例としてみちまうと日本語であっても「文章は通じない可能性がある」と深刻にとらえるようになっていて、反面教師としてそっから鍛えなおさなくちゃな、と思うようになりました。
解決策があるかっていったらありません。まわりくどくなっても良いから、なるべく平易な言葉をつかい、わかりやすい文章にしようってのは心がけています。
文章が通じないかもしれない怖さを抱えることが「ブログあるある」かどうかはわからないもののここらへん、拙いなりにでも文章を書かなければわからなかったことであったり。