POSの怖さ

POSシステムってのがあります。Point of sale systemの略で、扱う品数が多くても一定期間の間になにが売れたのか、把握できます。採用したところではヨーカドーが有名で、きっかけは経営陣の一人がワイシャツを買いにゆき、欲しいサイズが売切れてるにもかかわらずワイシャツが売り場にあふれれるのはなぜか・商品管理が適正でないのではないか、という問いからはじまり、販売実績を効率よく把握するためにPOSが導入されます。POSはいつ(時間帯など)どこで(店舗名)誰が(顧客の属性等)、何を購入したかを把握することができ、売れてる商品の在庫積み増しに威力を発揮しました。スーパーに限らずコンビニでも普及しています。コンビニに限らず大きな本屋であればたいていPOSレジってのが90年代の半ばには既に置いてありました。本のバーコードをスキャンするとデータが蓄積し、本屋さんや本の取次会社(書店と出版社の間を取り持つ業態がある)、出版社の人がそのデータを閲覧することができます。つまるところ「なにが売れるか」というのを本屋や出版社は知ることができます。うまく活用すれば限られた本屋の売り場の中で効率を上げることができますし、傾向を予測して売れそうな本をある程度仕入ておけば売上げはまします。データを参考にして出版社も「売れそうな」出版物を作ることが可能になりうまくいけば部数も増えます。弊害もあって売れそうな、悪く言えば似たような本が店先に並びます。「必要なことは○○が教えてくれた」とか「◎◎の仕事術」とか「△△の整理術」なんてのが手を変え品を変え本屋に常にあるのはそのためです。マンガ本のコーナーで同性の恋愛もののマンガなんてのがおっそろしく増えたのも同じ理由でしょう。
書店や出版社などのメディアが「売れそうなものさがし」をすることが良いことか、というと答えがでません。もちろんPOSの恩恵は出版社・書店の両方におそらくあります。いまでも生き残ってる書店・出版社は、おそらく「売れそうなものさがし」を見据えて情報武装が功を奏し不況を耐え、なお売れそうなもの探しを続けてるところが何社もあるはずです。「売れそうなものさがし」がやむを得ないことかと問えば慈善事業ではない・利潤を生まねばならぬビジネスゆえにやむを得ないところがあります。それがどこが悪いの?というと答えはありません。いちばんそれを実感したのは売れる売れない関係なく大量に本を陳列してたふしがある新宿のジュンク堂が消えたときです。維持できないならやむを得ません。が、売れそうにない本は次第に排除されるというのは、結果として均質化に拍車がかかります。均質化のどこが悪いの?というと均質化してないものが存在しにくくなります。もちろんそのことに関して誰も文句は言えません。誰もが同じものを読み、誰もが同じようなものを好み、誰もが同じような意見を持つ、ということが果たしていいことなのか・健全なんだろうか、と考えちまうのです。均質化した状況は、差異があったときに、差異が認められにくいということです。差異が認められにくいというのは○○の面白さがわからないなんてわからないみたいな同調圧力みたいなものととなりあわせです。書店・メディアが「売れそうなもの探し」をする、というのは悪いことではないけど、怖さはあるのではないか、なんて思っちまうのですが。
都心部の本屋さんでかつて万城目さんがでてきた全国の書店員が投票して決めた文学賞の本の紹介があって、読む人と文壇という書く人たちのインナーの評価の差異や、出版社と本屋では売りたいものが違うのかーと思うと興味深いのですが、でも本屋さんが読んで売りたい本の紹介もちょっとおっかないよなあ、などと(どうでもいい)感想を持ちました。そんなことを考えたのは辻井喬とか森博嗣とか文学賞と関係ないところの文学者・作家の著作を読んでいたせいかもしれません。もちろん活字離れが盛んに云われる昨今、多くの人がすすめられたことをきっかけに本を読む、というのは喜ばしい状況かもしれません。でもなんというか、支持が集まるところはすべて正しい的なというか、なんかこう世の中が変な方向に全速力で舵を切ってる気がするんすが気のせいならいいんすけどもって、また誇大妄想的に脱線してゆくいつものパターンなんすが。