酔鯨をさがして

親が死んだあとに代わりに親代わりになってやる、と申し出た人が二人います。うち一人はその申し出に謝意をのべた上で断っています。もう一人は神奈川県の両親が眠る寺の方丈(私の属する宗派は住職を方丈という言い方をする)さんです。葬儀のあとに「困ったことがあったらなんでも相談するように」と云われはしたものの、勤行次第等を改めて教えてもらったあとは特に相談しにいったことはありません。親代わりという意識もありません。ただ心配してくださってるのはわかるので法事はなくても護持会費を届けに行く際に年に一回は面会するようにしています。以前、その機会のときに(個人的に呑んだことのある)酔鯨という高知の般若湯を本尊の供物として以前持参したことがあり、(ほんとは本尊の供物なのですが)それとなく方丈さんから(字がきれいな人ではないのだけど)別途礼があり、ああこれは次回からも酔鯨を持って来いというサインなのだな、と察して今に至ります。これを書いてるやつはそこそこ空気を読める子です。

酔鯨は製造元が高知で、東京ではどこでも扱ってるわけではありません。以前は高島屋で手に入れてました。あるだろうと思って前日閉店間際に寄ったら以前と同じものがありません(生酒はあるのだけど本尊に供える以上要冷蔵の生酒はNG)。こんなことならとっととAmazon童貞を捨てて彼岸になる前に取り寄せておけばよかったかなあと後悔してもあとのまつりです。残念な顔されちまうかもしれないけどやむを得ない、事情を話して(なぜ謝らなくちゃいけないと思ったのか謎なのですが)謝ろうと決めたものの、小田急線に乗り換える際に、別のものを見繕うために新宿小田急をのぞくと肝心の酔鯨が各種そろってて、去年と同じものを手に入れることが出来て面目を保てました。会計しながら売場の方に経緯を話しながら謝意を述べたら、問わず語りで教えてもらったところでは酔鯨は方針を変えて流通量を絞ってて特定の店にのみ製品を卸すようになったのだそうで(小田急はその特定の店らしい)。

いつものように話が全速力で素っ飛びます。

以前、中央東線沿いの小さな無配の複数の小さな会社の株式をもっていることをここで書いたことがあるのですが、そのうちのひとつ(は筆頭株主なの)で相談をうけてて、ずっとテーマになってるのが「この先三十年継続するにはどうすべきか」で、この先、右肩上がりはあり得ないだろうし規模の拡大は難しいので結論として(簡単なことではないのですが)「小さくても得意分野で必要とされる会社であり続ける」ということで、経営状況はわりと厳しいのですが金融機関の理解もあって必要な投資をしています。そこらへん経験があったので業種は違えども、むやみに規模の拡大を目指さないで、(顧客がついてるであろう)特定の店相手の商売に転換する酔鯨の方針は、なんだか腑に落ちました。

ふだん書かぬようなことを書くと・あほうがくぶ卒で経済音痴なのであんまりまともにとってほしくはないのですが、日本の経済は緩やかに収縮していくのではないかと私は予測しています。その心配が杞憂に終わればいいのですがこればかりはわかりません。荒天に備えて生き残りのためにいまのうちに手を打たねば、というのはもしかしたら地方にある会社の共通の宿題だと思っています。でもって酔鯨が手に入りにくくなるのは痛いですが、酔鯨を三十年もしくはもっと後世まで残すためにはやむを得ないのかなあ、と。