はてなのお題が地元とか住んでる街です。はてなのお題にのっかるとなんかこう、常に暗ーい話になっちまうのですが。
私が育ったところは東京の多摩地区にある街です。私が義務教育の頃は雑木林がけっこう残ってて、でもそこそこ開けていました。田舎かというとそんなことはありませんが、都会ではありません。剣道をやっていて剣道着を着て近くの神社まで通う、ということをしてましたから、近所の人は剣道をやってる子、という印象をもっていました。これが仇というか、本屋はあったものの同じ氏神ですからどこの誰かはわかってたのでエロ本とかは買えませんでしたし、悪いことはできませんというか人の目というのは悪い方向へすすませないところがあります。息苦しさってのはあったのですがいい子を演じてたところがあります。学校では中学も高校も優等生ではないけど本名よりニックネームで知名度があって、知名度先行しちまうと悪行はできません。学校ではそれほど息苦しくはなかったのですが、校則が緩かったせいもあるかもしれません。
周りの目があると悪行じゃなくてもできません。めんどくさいのですが、女子高に向こうからアプローチしてきた知り合いがいて、夜よく逢ってましたが、必ず双方の中間地点であってましたし、同性の交換日記をしてる相手もいましたが、夜電話をかけるのにも家からちょっと離れた公衆電話から長電話してました。大学を出て就職して大阪市内の寮に入ったとき、緊張と同時に会社関係以外の周囲の目がないことが気楽であることがすごく印象に残りました。
記憶に残る周囲の目ってのは厄介です。周囲からはみ出ると、いろいろいわれます。わけあって住んでた街を引き払うと一変します。あの街の人の記憶にあるのは保護すべき私が小さかったころの、袴を着た華奢な少年・学ランを着た青年です。童顔であることがそれに拍車をかけるのですが、それがぬけないので、たまに育った街でひととあうとどこか従順であることを期待するのか、意見が異なったり先方の意に沿わない行動・言動をすれば罵倒されたこともありますし、稼いだ給与で買った服をそのまちで着ると(アニエス・ベーくらいでも)金持ちは違うねーみたいなことをいわれますし、私はその街に住む父方の親戚と折り合いがものすごく悪いのですが、父や母と同じく大学出であることをとらえて「頭のいいひとは違うね」てきなイヤミが必ず出てきます。牧羊犬は群れから離れる羊を威嚇しますが、若干それに近いです。他人の意図に従う必要もないし、もう迷える羊ではありません。育った街は嫌いじゃないけど、もうあんまり近寄れないし、近寄るつもりもありません。宮司さんのところと小学校の時の同級生がいる親しい中華料理屋さんには顔だすくらいです。育った街はよいところか、といわれると答えに詰まります。よその人から言わせれば、緑豊かなところです。でも好きかといわれれば好きにはなれません。「うらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや」というのがしっくりきます。いつか好きになることが来るのかなあ。
いま住んでる街はそれほど住みにくくはありません。燃やすゴミだと思っていたものを燃えない(燃やせない)ゴミだと半透明のごみ袋越しに指摘してくる人はいても、身につけた学問や給料で買った衣類に文句をつけることはありません。電車がしょっちゅう遅延することと、美味しいパン屋がないのは不満ですが、自由です。