葛飾柴又

東京(押上と上野)と成田を結ぶのが京成というのがあるのですが、勤務先があるわけでもないのに、わけあってよく乗りますってそんなてめえの話はともかく。

その京成の高砂から金町線に乗り換えて1駅行くと柴又です。

柴又には柴又帝釈天とよばれる日蓮宗の寺があります。帝釈天までは参道があり参詣客も多いのですが、参道は寅さんの故郷でもあるので観光地にもなってます。シリーズ終了してもなお、寅さんが根強い人気を誇るのはもしかしたら云いたいことがいいにくい世の中になりつつあるのかなあとか、余計なことを考えちまうのですが。

駅前には「生まれも育ちも葛飾柴又」の寅さんが。

一時期寅さんの生家ということになっていた「とらや」。看板に草だんごの文字が見えますが柴又といえば連想するのは草だんごで「とらや」以外にも高木屋などの草だんごの店はあります。なぜ草だんごかというのはもともとはこのあたりでヨモギがとれた・植えられてたことに由来します。ヨモギって地盤を固定化しますから、もしかしたら軟弱地盤だったのか。草だんごも美味しいですが、江戸川でとれる川魚料理(っていってもうなぎとか鯉ですが)も名物です。

寄り道さえしなければ10分もかからずに帝釈天の二天門につきます。

よく帝釈天と略されますが、正式には題経寺といいます。御前さまのいるところですね。

寅さんは口上の中で帝釈天の産湯をつかい、っていうのですが、おそらくこの御神水のことか、と。
神水で関係してくるのは庚申信仰です。人のからだにはサンシ(三尸)の虫が棲んでいて、60日に一度くる庚申の夜に、人が寝入るとそのサンシの虫が体外に出て天に昇り、天の神にその人の悪行を報告し、その内容により寿命が決まるってのがありました。悪行に関して身に覚えがあるっていうか報告されちまうほうは対策を考えなくちゃで、夜は寝なければサンシの虫は体外に出られないのだから一晩中起きてよう→聞けば柴又帝釈天は庚申の日に御本尊が見つかったらしい→だったら柴又の帝釈天が天の神でなんじゃないのか、ってなことになり、江戸のあちこちからサンシの虫がでないように夜中に歩いて柴又まで来て帝釈天へお詣りしに行きサンシの虫がでないように眠らずにいて、夜が明けたら庚申の次が酉なのでニワトリが啼き次第帝釈天の御神水をいただいて帰るようになりました。庚申のことを知ると庚申の夜に柴又に居た人はみんな悪行をしてたのかな、っていう素朴な疑問が子供の頃はあったのですがオトナになってみるとたたいてチリひとつでないってのも人間ではないような気もします。てめえはどうなんだよっていうと不埒な悪行三昧はしてないけどひとには言えない不埒な秘密はないとは言い切れないかもなので、寿命は縮まってるかもしれないのですが。
虫じゃないけど胃にふつうじゃないものができてるのは確かなので(そんなもの出てってくれた方が嬉しいのだけど悪行は皆無ではないので)封じに、わがままいって帝釈天へお詣りしに来たのでした。
ちゃんと書いておくと庚申の日には護符の授与があります。

帝釈天の裏手にある江戸川の土手です。

土手を登ると江戸川が見えてきます。江戸川に古くからあるのが矢を切るたわし、

じゃねえ、矢切の渡しです。桟橋までいったら残念ながら船はいません。歌では「つれてー逃げてよーついてーおいでよー」とか柴又から対岸の矢切(松戸)へ逃げる描写ですが

ちょうど出ちまったところで、逃げそこねちまった気配です(や、本気で逃げようとしたわけではないのですけど)。後先考えないですべてを捨ててどっかへ逃げるってのは憧れます。が、逃げるより前に大切なことってあるような気がしていていまに至ります。ほったらかしにして逃げるってことほど、なんだかしたくはないし・させたくないような。

矢切へ渡ってもアテもなかったので、ちょうど昼時どきで腹の虫が鳴いたので、参道のほうへ戻って昼飯を食いました。