日本史はそれほど勉強しなくても点数が取れたのでほとんど勉強していません。でも謎の多い世界です。高校時代の日本史の教科書は読んでると謎がよく出てきました。
たとえば金沢です。戦国時代一向一揆によってそれまでの守護がいなくなり本願寺教団が支配する国となります。はじまりは華々しく書かれ、それが100年ほど続くのですが、いつの間にか終わります。終わり方は日本史の教科書に書いてあったか、というと書いて無かった記憶があります。年表を見てると謎はとけます。本願寺教団の存続と引き換えに朝廷のすすめで石山本願寺と織田勢が講和し(おそらく)加賀の一向宗も勢いを失い、その年のうちに本願寺の金沢支配も終焉となります。おそらく、と書いたのは私は法学へ行っちまったからで、正確なところはわかりません。ちなみに西本願寺東本願寺の分裂は石山本願寺と織田勢の講和のときの抗戦派と講和派の姿勢の違いが関係してきます。
大学受験の勉強というのは私にとって謎の宝庫でしたが、謎を謎としておき1582いちごパンツ本能寺の変!とか暗記を進めることがそれが勉強になるのかっていうと、正直判りません。ここらへんそもそも勉強って何のためにするのという哲学のようなものにいっちまうので深入りは避けますが高校時代にやった大学受験の歴史の勉強が大学のときに役に立ったかというと、刑法の勉強をしたときにナチス時代のことは切り離せませんでしたし、民法家族法・相続法をやるときにもかなり参考になりました。それまでした勉強は別の勉強をするうえで役に立つ、ということを思い知ったのですが。
無理やり理屈をこねるとすれば、歴史の勉強でおそらくいちばんでかいメリットは「目の前にあることがなにかしらの継続の果てにできたものかもしれないぞ」という意識を常に持つことができたことかもしれません。もちろんこれはいまでも身についてて、仕事に関することでも時間のある限り過去の資料を取り寄せ読み込むのは苦ではありません。役に立つのですがデメリットもあります。どうなってるか気にしないで勉強しなければならない場合(いとこ婚は諸外国では認められない国があるのに日本ではなんで可能なのだろうとか)なんでそうなってるの?というそちらのほうに目が行くと、他のものが見えなくなります。塩ラーメンになぜごまがついてるの?と考えちまうと塩ラーメンがのびちまうのに似てて大学生時代は暗記するべきものなどには縁遠く「あ」がつくほうがくぶ生になりました。
日本史必修化の動き、なんてのを今週新聞で読んで、かなりしっかり細かいところまで教えないとおれみたいな「謎」を抱えちまいやすい人間・なんでそうなってるの?と興味を抱くほうにすすんでしまう人間を増産するだけなんじゃないのかな、と思っちまったりするのですが、考えすぎかもしれません。