この時期浅草では歌舞伎公演があります。でもって博奕十王というのを浅草の公会堂で週末、観てきました。もともとは狂言だったようなのですが、当代の猿翁丈が歌舞伎化したものです。
俗名・市川猿之助が六道の辻で閻魔大王と出会い何人もの人から金品を奪ったことなどの罪状が告げられるものの、それは博奕の結果であることを抗弁し勝つことも負けることもあることを述べるものの、閻魔大王は博奕を知らず、そこで博奕がどんなものか説明し、サイコロやとら虎拳で閻魔大王と勝負する、という演目です。結末はいつか歌舞伎でご覧いただくとして、サイコロを振って次がなにが出るか・同じ目が出る確率というのは数学ブログではないのでここらへん置いておくとして負けが続くと何回めかのときに「そろそろ1が出るだろう」と閻魔大王は考えてしまうのですが、正気になって考えればその発想は噴飯ものなもののそこらへんわからないでもなく、あらためて考えてみると博奕というのは正気にはなれない・その場では不思議な空気が流れてるのかもなー、と思って観ていました。
念のため説明すると虎拳というのは(和藤内のお母さんである)おばあさん、虎、それに鉄砲を持った和藤内(≒鄭成功)がでてきます。虎はおばあさんに勝てるけど和藤内には勝てない、和藤内は虎には勝てるけど親であるおばあさんには勝てない、おばあさんは子である和藤内には勝てるけど虎には弱い、という三すくみの仕組みで、とらとーらとーらとらのメロディにのせて屏風からどれかをまねて出てくるお遊びで、ようはじゃんけんです。劇中、虎拳では負けてたほうを脱がせてたのですが、賭けるものがあれば人というのは真剣になって、それは傍からみてるととても面白いのかもしれないなーと改めて思いました。もっともお座敷遊びをしたことがないのでへたなことはいえませんが。
じゃんけんというとあんまり考えずにけっこうテキトーに出してるつもりなのですが「たいていチョキを出すよ」とニヤニヤしながら指摘されました。知らないうちにクセというのはあるみたいで。記憶をたどるとなんとなくたしかに負けが多いような気がするのですが、読まれてたのかもしれません。幸いにもまず賭け事はしないものの、読まれて負けてたのを知るってのはなんかこう、面白くないというか微妙に悔しい気がしないでもないです。