両国国技館バックステージツアー

以前、舞の海という力士が居ました。正直体格には恵まれませんでしたが、小結まで昇進します。舞の海がすごかったのは小兵でありながら持ちうる技術を駆使してのし上がったところです。そのころ有名だった若貴兄弟はどうでもよくて、舞の海が勝ったかどうか、というのをよく新聞やテレビでチェックしてました。舞の海の存在は、私にとって「工夫次第ではなんとかなる」という希望の星だったところがあります。舞の海の引退後、気になったのが高見盛です。気合を入れる仕草をしていましたが、その気合を入れる仕草を隠さないところが気になっていました。不安や恐怖を取り除くためのもの、という理由だったのですが、ああ力士でも不安や恐怖があるのだ・この人は俺と同じなのだ、というのがなんとなく安心できたのです。「この先どうなるかわからない」といううっすらとした不安のようなものを抱えてたとき、身体を動かすことで気分を変えて臨む・気合を入れて立ち向かう、というヒントをもらいました。バカみたいな話かもしれないのですが、今春までややこしいこと抱えててそれを解決するために協議先へ向かう前に必ずひとりになったとき肩をたたいて気合を入れてました。相撲にそういうものをみていたのです。相撲というのに、私はちょっと変な関わり方をしていました。関わり方というか、なんというか。

両国には国技館があります。でもって国技館というのは相撲興行時には相撲のチケットがあれば入れますが、正直国技館で相撲を見学したことがなく、国技館の中に入ったこともありません。交通局のポスタで両国にぎわい祭というのをやってるのを知り、大江戸線で両国へ。最初はちょっと覗くだけのつもりでした。

国技館は無料開放中で、内部に入るとおお、ひよのやまがいる!と思って人垣越しに写メを撮ってたら、チラシで有料だけど国技館のバックステージツアーがあって土俵見学可能であるのを知り、事前の予定を変更することを打診・了解してもらって、見学券を2枚ゲット。


まず相撲教習所へ

新弟子の力士が6ヶ月通います。

実技を教えるところです。いつもはどうなってるのかちょっとわかりませんが土俵を作っておらず、今日はどんな人でも力士と対決できるようになっていました。ですから女性と思しき外人さんも対戦してました(もちろん手加減して)。東京だと力士の人におんぶしてもらうとその子は強くなるという風習がありまして、子供の取り組みが多かったです。力に自信のある大人の体格のいい男性がチャレンジしてましたが、やはり勝負にならず。

相撲の基本動作(気鎮め、塵浄水、四股、伸脚、仕切り、攻め、防ぎ、四つ身、反り、土俵入り)と時間割です。基本動作のうちいくつかはわかります。気鎮めってのは蹲踞です。蹲踞ってのは爪先立ちでかかとの上に尻が来るようにして膝を開いて上体をまっすぐに正した姿勢です。塵浄水ってのは蹲踞の姿勢で拍手を打って両手を広げて、てのひらををかえすこと(なにも持ってないことの証明です)。土俵入りと四股は説明不要かなあ。あとはちょっとわからず。実技の午前7時から10時まで実技ってのがなんだかすごいですね。

こちらは座学の部屋。さきほどの実技の部屋の隣です。

座学の時間割。運動医学、相撲甚句や相撲史というのはわかるのですが、書道をやるのをはじめて知りました。つか、実技を三時間やったら全力をつかいきってるんじゃないかと思うのだけど、筆が持てるのかなあ。それを集中力でなんとかするのがプロなのか。

これ、なんだろうと思ってて、いまさっき気が付いたのですが、おそらくまわしです。幅はおそらく40センチくらいか(普通のふんどしはこれほど幅広ではない)。たぶん毛も含めてこれだけあれば隠れるのかも。


バックステージツアーはけっこう参加者が多かったです。

支度部屋にて見学者が説明を聞いてるところ。支度部屋というのは取り組みの控え室です。テレビ画面があるので、本場所中はおそらく取り組みが確認できるのかも。

てっぽう用の柱です。説明しておくとこの柱を押して身体を鍛える・あたためるためのもの。あたりまえですが、固かったです(試しました)。

番付表を書く行司さん。相撲の場合根岸流という独特の字体です。見学者がいても動じることが無く、ずっと集中して書いてらっしゃいました。

行司の部屋、というのもあって、そこには行司の衣装が飾られてました。右は木村庄之助、左は式守伊之助のもの。行司にも格があり、立行司というのが最上位です。胸のところの紐があるのですが、そこでランクが判ります。短刀を持つ立行司は紫もしくは紫白の紐です。近くでみると、けっこうきれいです。

右の朱色の紐が三役格の行司衣装で、左が十両格行司(紐は青白)、真ん中が幕内格行司(紐は赤白)です。

行司と並んで審判の部屋があります。行司は取り組みでどちらが勝ったかの軍配を上げますが、審判はそれに物言いをつけることができます。審判といっても力士を引退した年寄衆です。また取り組みを決めるのは審判部で、この部屋で決めてゆきます。


いよいよ花道を通って土俵へ向かいます

テレビと同じ土俵を目の当たりにして、テンションがやはりちょっと高くなります。高見盛関はいなくなっちまいましたがつい最近まで高見盛が気合を入れていたところです。眺めてなにになるってわけではないのですが、ついあれこれ眺めちまいます。

座席が外されてますからちょっと殺風景ですが、それでもここは両国国技館です。

ここでは甲山親方(元大碇)が懇切丁寧に説明してくださってました。いまある土俵は1月場所のもので、5月場所の前にまた作り変えます。ちなみに高さは60cmくらい。土は今は川越のもの。新たに土俵を作る際には土俵祭り(初日の前日)というのをするのですが、その際に土俵の中央に穴を開け、塩、昆布、するめ、栗、洗米、かやの実などの縁起物が沈め祝詞をあげ、場所中の安全や五穀豊穣を祈念し、千秋楽のあとに取り出して灰にするのだとか。質問オッケイだったので、どこの神様を勧進するのですか、と訊いたら「天です」と一言。あとすぐそばの野見宿禰神社と縁があることを教えていただきました。
この甲山親方、かなりくだけた親方で「ビール瓶がありますが相撲ではビール瓶は弟子殴るためにあるわけではありませんで徳俵を叩くためのものです」とぼそりと説明がありました。かなりブラックなネタなのですが笑っていいとこだかどうかわからず。

清めの塩(ひと場所で600キロほど)と、力水いれ。塩は清めの意味のほかに、切り傷擦り傷の殺菌のためにもつかうらしいのですが、傷に塩をすりこむというのはちょっと想像を絶します。昔、水戸泉という力士が豪快に塩をまいてたのですが、いつの間にか塩を豪快に撒く力士もいなくなっちまったなあ。

力水を出すスペース。力水というのは清めの水です(ですから吐き出します)。テレビ中継だとどうなってるのかわからなかったのですが、なるほどーと氷解。両国の場合は下水につながってて、両国以外だといったん土俵下の仮設の貯水槽に留めておくらしかったり。

そろそろ次のグループの時間なので、という声があり、ちょっと名残惜しかったのですが、でも充分堪能して土俵を後にしてきました。


ちなみにお昼は当然ちゃんこを。美味かったっす。