不得手

ちゃんと書くと私は日本語もたまに怪しくなり読み書きが不得手になります。でもって知識のある人とか頭のいい人はそれがない人にたいして理解させるように書いてくれることはあまりなく、巧く行くときは巧くいくのですがたまに失敗するのは日本語でも途中からなにをいってるのかわからない言葉に出くわしそこからわかんなくなって、読めなくなることがあります。テストがあったら零点というか、たぶんほかの人には読め理解できるんだろうけど、おれには読めないみたいなことはあったりします。おそらく「つかってる言葉を知らないやつなんていない」という前提で書かれてる文章だとその確率が高く、これは俺が理解できるレベルでかかれてるものではないのだろうと勝手に踏んでて、そういう時は文章を読んで理解しようと努めてはいても、読むという言葉がどこまで要求されるのかわかりませんが、たいてい他人へそれを説明できるほど理解できてなかったりします。その経験があるのでなるべく誰にでもわかるような書き方やしゃべり方というのを考えてはいるのですが、(わかりやすく書こうとすれば長くなったり正確さが薄れたりとか)巧くいってるかどうかはわかりません。模索しながらなのでおそらく何割かは失敗してる可能性が高かったりします。書くことに関してはここらへん正解があるのかどうかわかりませんから日本語に関してはたぶんずっと、直面する問題であったりします。
人前であんまりへたに書いたりしゃべらんほうが良いんだろうな・恥さらすだけやしな、と思うことはけっこうあるんすが、じゃあこれはなんやねんというと、もうなに言われてもいいや・恥をかいてもいいやというひらきなおりであったりします。かっこよくあろう、というのは無理だと思ってる側面があります。


書くことに関しては途中から目で見たことや聞いたことや体感したことを書くようにしてはいるのですが、体感したことや目で見たことというのはたまにどんなに言葉をつくしても「あーなんかちがうなー」的なところがあって、なんでこんなに日本語というのは難しいのかなどと考えちまうのですが、おそらくそれは日本語が難しいのではなく、文章というのはおのれの頭の悪さ・語彙の少なさ・不得手なところの鏡なのかもしれなかったり。