視覚の問題(もしくは、人体のふしぎ)

私は普段コンタクトレンズをつかってて、人と逢うときもほとんどコンタクトです。ハードコンタクトが長くて、作り変えながら20年以上つかってます。で、まれに事情があってメガネになるのですが、たいてい「お」という顔をします。よく知ってる相手だと「どうした?」と突っ込んできますが、説明すると納得はします。


メガネ男子になってる日で、そのときはたいてい最初にメガネを外します。格闘技でもないので外さなくてもいいかもなんすが、なんとなく、っす。いや、ちゃんとかくと私の眼鏡はレンズにけっこう値段がかかってて、曲げたり壊したくないからです。メガネとえっちとどっちが大事なんだよ!と言われたらメガネ!と即答します。えっちする相手のスペアもありませんが、メガネのスペアもないからっす。メガネをかけてても腰を高くして顔を枕につけるような格好をしなければいいんすが、そんなこと完全に回避できるかどうかはわかりませんから最初っから安全地帯にメガネを置いておきます。メガネを外したらぼやけた世界ですから、相手の詳細が判りません。キスしてるときの至近距離はさすがにわかります。でもちょっと遠くになるとぼやけます。相手がフィニッシュを迎えるときの顔を眺めたくないかといったらうそになりますが。


幸い相手がメガネフェチでなかったのでラッキーで、メガネをかけてすることを強要されたこともありません。で、やはり視界がぼやけます。視界がおぼろげなぶんだけ余計な情報が入らずにそこに集中してしまうのか、指が体内のどこかにあるときもなんとなくその指がどこにあるか・動いてるのか想像しちまって不意に指を締め付けちまい、指摘され小さく笑われて頬が熱くなるのを自覚しました。そこに集中しなきゃいいんすがうっすらとした快感が走りながらそこにうごくものがあるという状況下では困難で、がまんできずに腰を動かしちまい、どうしたの?と小声でささやかれたあとにふとした拍子によりによって別のものが入った状況を想像し興奮するという方向に思考がすべってゆき、想像しなくていいことほど想像しちまい身体が熱くなり、より刺激がほしくなります。口に出してお願いすればそうしてもらえるのかもなんすが、それがなかなかできません。
焦らされたのち指以外のものがいざ入るといったん奥までゆきながら腰を浮かし深く息を吐きながら再度沈めてなんてことをするとたとえそれが物理的に見えなくても・手で触らなくてもより質感が判ります。はしたないけど、こころのどこかで欲しかったそれを得た嬉しさみたいなものが実感できます。腰を浮かせて沈めた行為をきっかけに相手が少しずつ動きはじめると、その固さを自分が引き起こしたものであるという妙な満足感と裏腹にあんまり余裕が少しずつなくなってきたんすが。


視覚って、もしかしてある一定の条件下の事態において人の身体の変化にすごく関係してくるのかもしれないんすが、その時はもちろんそんな分析はできません。でも視界がうっすらぼんやりするとそのぶんいつもより鋭敏になるようなきがしてならなかったりします。その相手とはしてることはいつもとかわらないのに体感的にはいつもとなんとなく違ってて、人体って不思議だな、と思わされたんすけども(人体の不思議でごまかしてしまっていいのかわかりませんが)。