現在日常で使ってる時計は懐中時計で、クリスマスとは関係ないけど貰いものです。前にも書いたかもなんすがアクセサリーを一切付けない人間であると判断して時計になったんすが、高そうなものを貰うということにすごく抵抗があって、貰う理由がないからってんで最初はそれまでつかってた懐中時計と交換の形になりました。実はそのあとスペアの懐中時計を貰ってます。日常的にハードに使ってることを伝えたら、二つ目を寄越したのです。スペアのもらい物はフォーマルなとき専用にして机の中にしまってあります。でもって最初にもらったやつはいちども箱にしまうことなく年がら年中ほんとに懐中時計として使用してて、そんな使い方をしてたせいか一回壊れたのですが、ちゃんと直しました。捨てるわけにはいかない、と思ったのです(じゃないとたぶんまた来る)。年がら年中所持してるので、貰った相手に会うときも、必ず持ってます。365日年がら年中つかってるので大事に使うわけではないかもだし、そもそも大事に使うというのがどういうことかはわかんないけど、貰った相手に対しての礼儀かなあ、と考えて部品がメーカーに無くなるまで使おうと考えてます。


貰いっぱなしってわけでもなくて、よく消費するものを相手に渡してて、いちばん多いのは酒です。で、貰いものをしたあとのあるとき、迷った挙句、傘を買って渡したことがあります。渡してからベタすぎたかなー、別なもののほうが良かったかなってなことを考えたのですが、ある雨の日逢うことになって、自分が贈った傘を持って目の前に現れたとき、うれしかったのと同時に「えっちのときとは別の快感があるなあ」と感じて、あとに残るものを贈る醍醐味みたいなものをそのときなんとなく知ったわけっす。で、使ってもらってるのがなんとも嬉しいというかなんというか。そっか、だからみんなネクタイとかパンツとか身につけるプレゼントを贈るのか、と気が付いたんすが。
馬鹿だなあと思うのですが、贈りものと、それにまつわるいろいろなことを想起させる夾雑物について、オトナになってもなかなか気が付きませんでした。


意図をもって贈られた・送られたものを目にしちまうと、文字であっても、相手によってはなんとなくあれこれ考えちまいます。たぶんここらへん、狂ってるかもしれません。儀礼的にメール寄越してるんだとしても、なんとなく嬉しくなるというか。
ほんとはクリスマスはあしたで、メリークリスマス!とかくなら明日のような気がするんすが、とりあえずさきほど一件、返信しました。