問題が起きてるときにその問題のうわべだけみてると対応を間違えやすくて、そこに隠れてるものを探し出さなきゃならないのだけど、いうほどそれは簡単ではなかったりします。起きてる現実はたぶん正しくて、その起きてる現実にどこかに解法のヒントがあるんじゃないかって思ってて必死に解法を探し、解法さえ決まっちまえば何キロかは前に進んだことになるのだけど、その森が暗く深そうだと、やはり不安になっちまうんすよ。なにかの選択が付きまとえば必ずそこに不安ってのはつきまとうからっす。選択というものをなんべん体験しても、ぜんぜん慣れることがありません。
で、現実は試験問題じゃないのだから気軽に辞書をひいていいし、誰かにものを尋ねていいんだぞ、ってなことを昔、人にいわれたことがあって、それを拡大解釈して不安なときに人に尋ねるってのを多少の恥をしのんでやってみると、べつのヒントをもらえたりして個人的にはけっこうありがたかったり。


書けば当たり前のことなんすけども、うまい具合に周囲の人によって生かされてるなー、なんてことを今日も痛感してました。