明徳星陵戦

野球と政治の話はあまりしないほうがいいんすけど、野球の話っす。


同じ30代だったりすると野球で話が合うことがあります。案外、同じ試合をみてることがあるからです。つい最近もそんなことがありました。ある高校野球の試合です。なんでそんな話になったのか細かくは記憶してないのですが、米メジャーの話になり松井の話からそんなことになったと思います。夏の甲子園で高知の明徳義塾と石川代表の星陵が対戦したんすよ。で、松井選手って星陵高校にたしか4番で居ました。第1打席・第2打席と敬遠したんすけど、もうそのころは松井というやたらと強い選手が居るってことはみんな知ってたのでそういう作戦もありだよなーなんて思ってたのですが回が進んでも一切その姿勢は変わらず、勝利を確実にするためかランナーがいようといまいと明徳側は5打席すべて敬遠したんすね。最後の打席でも松井は淡々とした表情で走塁し、結果として一度もバットを振らせてもらえないまま試合が終了しました。たしか目論見どうり明徳義塾が勝ちました。
当の松井選手はほとんど表情を変えずに試合をこなしてて(そのかわり甲子園は最後は野次の嵐だった記憶あり)高校生としてすごい神経もってるなー、なんてそのときは個人的に思ってたのですが(それくらい肝が据わってないと勝負の世界では生きていけないのかもっすけど)、この件はいろいろ当時話題になって、あそこで勝負すべきだったとか、いや作戦としてありなんじゃね?ってなことを身の回りでもけっこうしゃべってた記憶があります。でもってあれから十数年たった今になっても人によってはこの明徳星陵戦を記憶してなにかしらの意見をもってたりするので、けっこうみんな印象っていうかもやもやした試合だったんだなー、ってことを改めて知ったのですが。


どこか「当たって砕けろ!的」なことが好きだったので明徳側の「結果を出す為には、どんな手段でも使う」ってのは当時の未成年だった私はあまり好きではありませんでした。いまでもあまり好きではありません。スポーツで出てくる真剣なプレーの凄さが垣間見える真っ向勝負をみたかったりします。でも明徳の取った戦法はルールは守ってるし「勝つための」作戦としてはアリでしょう。真っ向勝負をしたら負けるかもしれないなら敬遠はある意味正解です。
この試合、どこに力点を置くかによって評価って全然違ってきます。およそ「スポーツにおいて勝利よりも大切なものがあるんだ」と言う意見なら「結果を出す為には、どんな手段でも使う」ってのはおよそ受け入れがたいし、「スポーツにおいて勝利より大切なものはないんだ」という意見なら「結果を出す為には、どんな手段でも使う」ってのは当たり前のことで、互いに相容れないものだと思います。だから似たような場面でどうすればいいのかっていったら答えがあるようなないような。いや、2つあるんだけど、実質どっちも正解で正解じゃないような。


スポーツではなく、社会人として働いてると(組織の名前でやってるせいもありますが)「結果を出す為には、どんな手段でも使う」ってことに躊躇がなくなります。仕事に限らず、勝負かけたほうがいいのかな、ってときでも後の体力温存のために敬遠もしたりします。そういうときにどこか「あー大人になったなー」なんて思います。いまとなっては明徳の戦法って理解できる大人なので「子供じゃあるめーし、きれいごと言ってもしょうがないじゃん」のようなものもうっすらとありますが、それは昔は何にも考えずに持っていたであろうきれいごとへ憧れの裏返しかもしれません。
とはいうものの、内心いまでも明徳の取った戦法を否定したいのです。が、「結果を出す為には、どんな手段でも使う」ってことに躊躇がなくなった大人になったいま、その批判は「テメーそんなこといえる身分なのか」というブーメランになってくるのでちょっと言えません。


私にとって明徳星陵戦は十数年前のものなのですが、もやもやはぜんぜん解決してなかったりします。