好きな人を嫌いになるのは難しいことだとおもいます。好きなら悪い所だって許容できちまう訳です。多少相手が誠実でなくとも、待ち合わせ時間にルーズだとか、ちとデリカシーがないとかでも普通は許せちまうわけです。風呂に入ろうとして脱ぎ掛けたらケータイが鳴り、半蔵門線の中からなんだけど途切れたらごめんね、と、注釈入れながら電話してくんなボケ!とおもいつつ(自宅からかかけにくいものと思料)、途切れ途切れに何度かかかってくる電話も頭が多少イカレてれば、許容できちまう訳です。


接触を断ち、距離を置いて、嫌いになるは無理でも好きではなくなる状態に至るのを待つ、という、あさはかな考えをもっていたのですが、正論が難しいのと同様あさはかな考えはハードルが高かったりします、たぶん。それとしんどそうな気がします。恐怖はより大きな恐怖によって駆逐されることを知ってるので(学生時代の定期テストと歯医者の抜歯の関係)、それに似せて好きな相手のことを思うよりも楽しいことを見つけて、心に占める順位を下げていくようにすればいいのかな、と、考えたものの、なかなか難しいものだったりします。対症療法よろしく、その場その場で例えば音楽を聴くとかなら、可能なのですが、それは抜歯みたいに根本的治療ではないのでときたま疼くというかおさまらない。


模索というか、勤務時間はともかくそれ以外のときはなるべく簡単に理解できそうにないもの、むかし理解するのに苦労した法律関係の基本書をひっぱりだして読んだりとかはしています。
ただそれでもほんのちょっとした時間に思考が行き、凹んでしまい、メールや電話に浮上するような感じです。
最終的にはどこかでケリをつけ、新しく好きな人を見つけねばならんのでしょうけども。正論を云えば。それが根本的治療ってわかってはいるんですけど、なかなか難しい。