同情したり同情されたりというのがとても苦手です。他人に対してもあまり同情というものを表出することはありません。ひょっとしたら他人からしてみればそれは失礼なことかもしれないからです。同情というのは、憐みというか、もっている人がない人に対して施すみたいな感じだからだとおもうのです。(個人的に24時間テレビも苦手で、恵まれない環境におかれてる方々にチャリティ募金を送るということは悪いことではない気がします。しかし、それは同じ目線から立ってのことでしょうか?)

個人的体験からすると、切羽つまってるときにいろんな人がきましたが、同情むき出しなほど嫌なものはありませんでした。そのおかれた境遇は、相手からすると興味をかきたてられるものでしょう。善意でいろんなことをアドバイスしたり、そのアドバイスを強制に近いように仕向けようとした人も居ます。断ったら怒る人も居ます。受け入れてもいいんですけど、けどそこに、わたしの意思の成立する余地はありませんでした。自分の意思は自分で決めるべきじゃねえの?というのがあります。間違いやすいのは愛情と同情です。その差はそこに可哀想かどうかが入ってくるとおもいます。天邪鬼かもしれませんが可哀想とおもわれるのがとてもイヤでした。可哀想、というのは同じ目線からのものとは思えなかったからです。同情からでたものはすべて正義なのでしょうか?それを受け入れねばならぬのでしょうか?個人的には違うとおもうのです。


冷たい人間なのでしょう。他人が嘆き悲しんだりしてるとき、同情する気が起きません。
祈るとかそういうことはできても、同情とかがどうしてもできません。