理想像の追求に関連して

ヲタの人に限らず、自分の理想というかあるべき姿を本当の自分として設定してしまうと、条件によってはエンドレスで僕って何?という問いをし続けることになるのかと。
たぶん、出あいたい自分というのがあって、現実の自分を見てそうじゃないとなると現実を否定したり不安になって構って貰いたくなる。問題は理想像の設定であって、褒めてもらえるような自己愛の塊みたいのだと永遠に問いの答が出ないとおもう。

褒めてもらうことに慣れてしまい自分が批判の対象となることに恐怖を覚えているひとがふえている気がするんですが。

いや、個人的な体験ですけども、東京生まれ東京育ちの大学生とかが、たいしてきついことを言っていないにもかかわらず泣いたりするんですよね。こちらが少し訛りがあって相手が標準語しか聞いてないと刺激が強いのかなとおもったりしたのですが。結果やめちゃったりするのですが。