新作歌舞伎『刀剣乱舞月刀剣縁桐』雑感

〇〇の変というのは日本史ではいくつもあるのですが永禄八年には永禄の変と呼ばれる事件があり、将軍足利義輝が大和の大名である松永久秀に討たれます。文字にすると大事件のように思えますが、その五年前に桶狭間があるので残念ながら(…残念ながら?)桶狭間ほどの知名度はありません。その永禄の変を題材にした新橋演舞場の新作歌舞伎『刀剣乱舞月刀剣縁桐』というのを週末に観ています。

題名に流行のゲーム名が入っているので薄々お察しいただけると思うのですが、刀を擬人化したゲームの世界を歌舞伎に持ち込んでいます。義輝が襲撃を受けた際に使用した太刀が三日月宗近という銘で、(たぶんなにをいってるかわからないと思いますが)尾上松也丈演じる三日月宗近という刀が主人公です。おそらく刀が主人公の作品というのは空前絶後のはずで、どんな話かは今週の千穐楽の配信か演舞場でご覧いただくとして。

大事なことを書くとその刀剣なんとかというゲームはほぼゲームをやらぬ私にはほぼ未知の世界でした。その上で書くと、ゲーム特有の用語や概念が芝居がはじまる前に緞帳に箇条書きで羅列してあるもののそれではやや不足で、たとえば芝居の前半部で弟の名前を忘れる登場人物が出てきますが、なぜ弟の名前を忘れるのかが芝居の中では一切説明がありません。にもかかわらず、劇場内は笑いに包まれます。おそらく観劇に来る層のある程度がそのゲームを楽しんでいる人なのだと思われ、観劇の切っ掛けを与えてくれた人に後で訊いたらそういう設定でそのゲームを楽しんでいる人には判るネタのようで。また、前半部ではやたらと早口でしゃべる登場人物が居て、しかし劇場が大きいので何を云ってるのかがよく聴き取れません。これも後で訊いたことなのですがゲームではそういう設定のようで。

今回の芝居の前半部は譲れぬ設定が優先されいくらか芝居を殺していて、かつ、「だれにでもわかる設定ではない設定で展開される初見殺しの物語」で、それらは私にとってきわめて衝撃的な出来事で、新作を含め歌舞伎をいくつか観てきましたが前半部では「ちょっとついていけない…」と途中で弱気になったことを告白します。もしかしたら脳内が保守的になったのかもしれませんがそんな経験この歳になって初めての経験です。ついでに書くと物語が大事のか?設定が大事なのか?という疑問も生じ、私は前者なのですが、あんがい後者の人も多いのかもなという発見をしたのですがそれはともかくとして。

後半部は前半部にみられたような設定が芝居を殺すシーンがほぼ無く、そして非常に完成度が高く、義輝役の尾上右近丈の狂いっぷりと追い詰められる(梅玉丈と鷹之資丈が好演していた)松永家の様子、それに戦闘シーンが見事で、見応えがありました。新型コロナに感染して行けなくなった人の代打であんたは歌舞伎観てたよねという理由で観させて貰ってたのですがこの後半の部分は私にとっては思いがけぬ零れ幸いでそこらへんを中心に謝意のメールを送っています。

幕が下りたあとにカーテンコールがあり写メOKでカーテンコール時に「SNSで拡散して欲しい」旨のプラカードを出演者が掲げていました。約束は守るものの、SNSに投稿しにくいのでひっそりとこの記事をダイアリに投稿します。