吉右衛門丈の「番隨長兵衛」

いつだったかNHKもしくはNHK教育の番組で歌舞伎について触れていて、その番組では観劇する演目にちなんだ服装(和装)で歌舞伎座を行くことをすすめていました。それを眺めてほんとに申し訳ない気持ちになったのですが、残念ながらそんなことは一度もしたことがありません。なので歌舞伎鑑賞が趣味ですとは口が裂けても云えなかったりします。

私は平成中村座から歌舞伎に興味を持ち、そのあと歌舞伎座へ歌舞伎を観に行くようになりました。ここ十数年の話で、鰯売や黒塚などある程度は見てるもののそれほど多くを観てはいません。新しい歌舞伎座になってからはあまりそんなことしなくなりましたが、古い歌舞伎座のときは予定がキャンセルになったりとか余裕のある時に、なにをやってるかを調べずに東銀座まで行きいちばん安い一幕見席での観劇をしていました。なのでやはり大きな声で歌舞伎鑑賞が趣味です、とはいえません。

なんにも調べないで歌舞伎を観にいったものの一つが極付番隨長兵衛という演目です。どういうものかはぜひ歌舞伎座などで御観劇いただきたいのですが、なに一つ予備知識が無くても飽きることなくハラハラしながら壁に寄っかかりながら眺めていました。最後には男ならかくありたいと思わせる幡随院長兵衛を演じていたのが亡くなった吉右衛門丈です。腕っぷしが強いながらも誰からも慕われるような人望を感じさせ、そしてどこか上品さを感じさせないと成立しない(はずの)役なのですが、説得力があって見事にはまっていました。以降、巧いと思わせる気になる役者の一人としてずっと気になっていました。とはいうものの、彼氏の父上が贔屓で後援会に入ってて、私は後援会に入ってるわけでもないので口が裂けても贔屓とはいえません。ただ、訃報を聞いて「もう一回機会があったら番隨長兵衛を観たかったな」と本気で思っています。

もうひとつ書かねばならぬのが澤村藤十郎丈、中村勘三郎丈とともに

琴平の金丸座、いわゆる「四国こんぴら大芝居」復活の立役者の一人でもあることです。「江戸時代からの歌舞伎小屋で歌舞伎を演じる」ということを定着させたことは、書けば簡単ですが相当に大変だったはずです。惜しい人が居なくなってしまったな、と。

歌舞伎鑑賞が趣味とも言えないものの、團十郎丈のときと同じように吉右衛門丈が居なくなったことに、いまいち実感がありません。年を重ねるってこういう寂しさが増えてくのかもしれないとはいえ、歌舞伎座のいちばん上の階の、花道の見えにくい、いちばん安い一幕見席で楽しませてもらった名優がまた一人消えてしまったのはちょっと寂しいです。