浅草6丁目

台風並みの爆弾低気圧が発生する、という予報があったのですが、日曜は朝から晴れてました。ただしけっこう花散らしの風は強かったです。明日が灌仏会ですが平日なので今日のうちに浅草寺へ。

観音堂裏の八重桜が満開。でもって観音堂の北に、浅草6丁目があります。

今月に入って東銀座に新しい歌舞伎座がオープンしましたが、江戸の一時期(天保の改革以降)、浅草寺の裏手の浅草6丁目(猿若町)のこの通りにかつて守田座中村座市村座がありました(というか芝居小屋を風紀が乱れるという理由で木戸で囲った閉鎖した空間に集めました)。浅草寺からは歩いて5分もかかりません。実は知識として知ってはいたのですが、猿若町ってどこだろうと思って、足を踏み入れたのは今日が初めてかも。

市村羽左衛門が率いていた市村座跡。守田座中村座市村座はそれぞれ守田勘彌中村勘三郎市村羽左衛門が座元です。松竹が歌舞伎を興行するようになってからはそれぞれの名前は役者の名跡として知られていますが、座元の役者が劇場の経営者兼演出家で興行を取り仕切ってた時期がありました。その名残は今でもあって、興行は松竹が仕切っても舞台の演出は役者がやることがけっこうあります。現代ではもちろん外部から呼ぶことがあり、亡くなられた勘三郎丈が串田和美さんを招き、海老蔵丈は宮本亜門さんを招くなど外部から演出家を招いてます。

中村座跡です。猿若町の名がある標識の柱にちっちゃく書いてありました。

その中村座の前にあるのが藤浪小道具株式会社。ブラタモリでも取り上げられてましたが歌舞伎の舞台に必要な道具類を製作する会社です。浅草が歌舞伎小屋にゆかりのあるところである名残のひとつです。


猿若町をもうちょっと北へ行くと山谷堀あとにでます。

山谷堀は吉原へ行く水路です。昔はここを船が往来してたわけで。いまは暗渠で、その上に親水公園になってます。でもなんかこう、前の時代の名残があるのは悪くないなあ、と。もっとも吉原には縁がありません。処女も童貞もはるか昔に捨てましたが風俗だけは未体験の風俗童貞です。おそらくこの先も縁がないかなあ。でも身体に石けんを塗って密着させてうごくってのは耳学問で知ってやったことがあってすごいこと考える人が居るんだなあというテクニックへのリスペクトはあったりしますってそんな話はともかく、

山谷堀を隅田公園まで歩くとここも桜がまだ残ってました。

これ、自信はないのですが、おそらく松月という品種かも。

時間がなくなっちまったので長居はしませんでしたが、春の名残をちょっとだけ堪能してきました。