毎日新聞の「経済観測」の終了

毎日新聞には昔は市況欄、そのあと経済面に経済観測というコラムが続いてました。両親はずっと毎日を購読していて新聞≒毎日で、私が高校生の頃(90年代初頭)にはすでにそのコラムはあって昔は匿名で、火曜日に三連星という名前の執筆者がいて、肩に力の入っていない口語体でかかれていたせいもあって火曜日のコラムだけは高校生の頃からずっと読んでいて、そしてそのコラムはスポーツ欄とテレビ欄以外の新聞を読む習慣をつける・読み続けるきっかけのひとつでもありました。三連星さんのコラムは文章のお手本とまでは恐れ多くて書けませんがいまでも「こんな文章が書けたらいいな」という目標のひとつです。ただ残念ながら(信託銀行の元幹部であった人物が三連星さんであったことを偶然読んだ訃報欄で目にして知ったことなのですが)三連星さんはずいぶん前にお亡くなりになっていて、加えて毎日新聞は経済観測のコラムを9月30日付で打ち切っています。

ここ何年かは当該コラムは実名を出して複数の人が書いていました。最近では大学の先生や、経済系の研究所の研究者、(半沢直樹にもああこの人かなというのがでてくる)日航再建などに関与した企業再生ファンドの幹部とか気仙沼のニット会社の社長さんなどです。

毎日新聞はゆるいところがあって誰もが注目している経済事象とあまり関係ないことが書かれることがありました。

最近だと水産業が盛んな気仙沼で魚が不漁になるとどうなるかということを気仙沼のニット会社の社長さんが簡潔かつ丹念に説明してて、製造業中心の新聞の経済面そのものを読むだけでは絶対にわからない事柄で、それ以降漁業関連の報道を眺めるとき、付随してどういうことが起きるのかとかの理解が深まっています。

何年か前の大学の先生が書かれていた回ではカズオ・イシグロの小説がきっかけで日本に関心を持ち日本に留学してきた英国人留学生のことに触れられていました。その留学生曰く、カズオ・イシグロの小説は英国を舞台に書かれてはいるのだけど道徳観を含むノスタルジーなどの作品に流れる世界観がとても日本人で、たとえば英国人は昔を懐かしむことがあったとしてもその時代の道徳観への郷愁はないのだそうで(明示はないもののおそらく語られてる根っこにあるのが「日の名残り」なのかなあ、と邪推するのですが)。それを読んで「モーリス」を生んだ英国が時間をかけつつも刑法を含む法律から道徳的要素を排除して同性婚について寛容になっていった背景が、なんだか理解できた気がしています。またその留学生はゲーマーでゲームにカズオ・イシグロ的世界観があると思ったものは(具体的に名前が挙げられてるわけではないけど)日本のものであったそうで。それを読んで日本人のものの見方や考え方は、なにかこう、英国とは確実になにか違うのだろうなとそれ以降考えているのですが…っててめえのことはともかく、もはや経済と何の関連性があるかというと説明に困るのですが、どんどん思考が拡がるような時間泥棒のような、そんなコラムを読めたのはほんとに零れ幸いでした。

繰り返しますが「経済観測」のコラムが無ければ新聞を読む習慣は身につかなかったはずで、そして、読むこちらに違う視点を取り入れるとっかかりとして毎日新聞の経済観測はとても有益でした。なので、なんだろ、終了は「さびしいな」というのと「もったいないな」感がすごくあります。