収集癖

毎日新聞には長いこと週一で西原理恵子さんの連載があります。ご家族のことを書くことがわりと多いです。今日の朝刊もそうでした。西原家のご長男は以前からどうも棒を集めていたらしく、ご長男が日本を離れた隙にその棒を処理したものの、大人になったいまアメリカにいて、でも現地でも棒をあつめていることが判明して西原さんが(大人なのに)なにをしているのかと憤慨した顛末が描かれていました。墓参に向かう小田急線の中で読んでしまい笑いをこらえていたのですが、でもご長男のやってることは身に覚えがあったりします・親近感があったりします。

一時期、ベトナムのラリューであるとか京都麦酒であるとか、彼氏の部屋に遊びに行くとデザインが気に入った(らしい)缶ビールの空き缶が少しずつ増えていったことがあります。もちろん洗って乾かして、窓辺に置いていたのです。もっとも2桁になることもなくそのうちにすべて片づけられています。バカにされそうなことを書くとちょっともったいない気がしました。おのれのことも書きます。わたしは通常切手以外の消印つきの使用済み切手をちまちまと集めています。別に集めてボランティアに送るとかそういうわけではありません。溜まると時間をひねり出して切手を鑑賞しながらストックブックに入れて眺めています。

心理学をやったことがないので収集癖にどんな深層心理があるのかは知りません。でも、なんだろ、つくづく思うのですが・大きな声ではいえませんが、缶ビールも切手も、経済的に無価値であっても「良いな」と思ったものが増えてくると充実感を覚えるような気が。もしかしたらそういうのにこだわるのは幼稚であるのだとすれば、私はまだ大人になりきれてないのかもしれないのですが。