「宇崎ちゃんはもっと遊びたい」における結論先述べ方式の言語の意思疎通の不完全さ

「宇崎ちゃんは遊びたい」の最終回「宇崎ちゃんはもっと遊びたい」を録画したものを視聴しました。別にいちいちここで報告するほどではない気がするものの、やはりなにも書かずに消去するのはなんだかもったいないので書きます。

前回の「桜井も遊びたい」では一番最後の場面で大雨の中、桜井先輩の下宿に宇崎ちゃんがやってきて、深刻かつ悲しげな表情で「もう、先輩と遊べないっす」と告白するところで終わりました。その続きからはじまったのですが、さらに「私、取り返しのつかないことをしてしまって」と告げます。桜井先輩にとって宇崎ちゃんは水泳部の後輩で、ただならぬその後輩の表情に男気のある桜井先輩は「おれにできることなら力になってやる」と口にします。その言質を取ってから宇崎ちゃんは夏休みの課題を終えてないことを切り出します。それを聞いた桜井先輩がどうしたか、宇崎ちゃんはどうなったかは、原作かなにかしらの方法でアニメをご覧いただくとして、どうなっちゃうんだろうと考えていた7日間を返せと内心思いながら、ゲラなのでしばらく息ができないくらい笑い転げていました(ここで深夜にテレビの前で笑い苦しんでいるくたびれたおっさんをご想像ください)。

さて、上記のエピソード、いっさい宇崎ちゃんは間違ったことを云っていません。結論を先に云って、その後に事実を述べたまでです。結論を先に云い、あとで理由を述べることは別に普通のことです。でもすごく可笑しかったのです。なにが可笑しいかの理由を書くのは不粋なことではあるのですけど強いていえば、言語による意思疎通が不完全であるからこそ、そこに想像の余地があり人には勝手に想像して補完する機能があって、それが外れたから・想定外のものであったから可笑しいと感じたのかもしれません。

最終回ではもう一度、似たような、結論を先に述べるシーンが出てきます(正確には述語を述べ、主語を述べます)。宇崎ちゃんは桜井先輩をぐでんぐでんに酔わせ、ぐでんぐでんになったメンタル防禦力ゼロの桜井先輩が料理をことあるごとに作ってくれる宇崎ちゃんに謝意を述べ、そこで小声で「好き」と結論的述語を口にし、あとで「おまえの料理が」と付け加えます。ただし宇崎ちゃんは「好き」と聞いた時点で酒をあおりはじめてしまい、付け加えた部分についてはきこえていません(宇崎ちゃんには悪いけど・桜井先輩にとっては悲劇だけど、それがやはり可笑しかった)。この2人がどうなったかはやはり原作かなにかしらの方法でアニメをご覧いただくとして。

途中から惰性で視聴しはじめたのでもしかしたら違うかもしれませんが、そして前にも書いたかもしれませんが「宇崎ちゃんは遊びたい」は言葉を尽くさず・省略してしまう世の中で、言語による意思疎通の不完全さ・不自由さ・ままならなさ(そしてそれによって引き起こされる悲喜劇)がテーマのひとつなのではと勝手に思っています。言語による意思疎通が得意ではないと自覚するほうからすると、番組を視聴しながら笑いつつも、笑うこちらも桜井先輩や宇崎ちゃんと同類かも、という意識がどうしても抜けませんでした。ただそれでもコメディとしては毎回飽きずに視聴できています。

書かねばならぬことを書きます。コメディに突っ込むのは「真面目か!」と云われそうなのですが、猫カフェへ行く回にあった「いろいろあたるから離れろ」と嫌がる先輩の腕を酔った宇崎ちゃんがしっかりつかみ胸に寄せる(セクハラっぽい)シーンなどを含め、過度に発達した宇崎ちゃんの胸に関するいくつかの小さなエピソードに、(引っかかりを覚えるのは少数派かもしれぬものの)私は引っかかりがありました。笑えるかと云ったら笑えなかったシーンがあった、と言い換えてもよいのですが。

なお、(2期の兆候すらない青ブタ勢としてはすっごく羨ましいのですが)本作は2期が決定したそうで、たしかに桜井先輩と宇崎ちゃんがどうなるのか気にならないわけではないので、桜井先輩と宇崎ちゃんにまた会える日が近いことをちょっと期待しています。