高校くらいのとき机の引き出しの中は私にとって人には言えない本棚の役割があって、こっそり持っていた本を引き出しの中に入れてありました。貸してもらった「スコラ」とかのグラビアを眺めても乳房って重そうだなと思う程度で、どきどきしながら住んでるところと全然違う町で買った「さぶ」とか「JUNE」も「おれのいるところではなさそうだ」「おれの読むものではなさそうだ」と考えて継続して買うことがありませんでした。
机の引き出しの中に入れていたものでも強烈に印象に残ってるのはマンガの火の鳥です。女性の登場人物が着ているものを脱ぐシーンがあって・脱ぐところを描写するのではなく衣が床に落ちるシーンがあって、そのシーンは1ページもないのですがなぜか「火の鳥」を引き出しの中に隠していました。二十数年以上たってもその描写は覚えています。乳房とか性器とかよりも実はこれからなにかが起こることを予感させる空気にどきどきしていたのです。そのシーンの影響からか・繰り返し読んでしまったせいか、エロの本質というのは人の身体にあるんじゃなくて、起こるべき事態の予感にあると思っています。いまでもシャワーを浴びに行った相手の脱ぎ捨てたトランクスをみるとなんかこう「えっちだなあ」と思うところがあったりします。
その人の本棚をみればその人の脳内がわかる、なんて俗説を聞いたことがありますが、おのれの原点って本棚代わりの机の引き出しの中にあったのかなあ、などとぼんやり考えちまいました。
はてな今週のお題が「本棚」だったんすが、いつものようにずれちまってます。