ちょっとずれてるかもしれませんが、へんな話をします。
「司法試験の出題者の先生が教え子に問題を教えた」ってのを報道で知って「教えてもらってどうするつもりだったのか」が気になりました。
教えてもらったほうはもちろんテストはそれでなんとかなるだろうと思われます。
しかし実際に社会にでたら、問題なんて誰も教えてくれないのが普通であったりします。
弁護士になったら仕事として民事の裁判だったら資料を読み込んでつっこみどころを探して場合によっては書面をかかなくてはいけません。検察官になったとしても警察や自前で探した資料を読み込んで裁判官を説得できるように起案しなければならないです。裁判官も同じことで論点を整理してそれなりにまとめて判決書を書かなくちゃいけません。法曹じゃなくても役所だったら法規集をあたったり通達を探して問題を処理する道筋をみつけなくちゃいけません。民間会社だって同じことでコンプライアンスが叫ばれてるせいもあり部署によっては問題があったら指摘しなくちゃであったりします。実社会では問題はどこにあるかなんてわかりにくいのがけっこうあります。
司法試験の論文式のテストはおのれで重要と思われる問題点を探して論じなければならないはずです。つまるところ法曹とか行政とか法律の周辺分野でやってくその知識があるかどうかを確認するためのもので、法曹専門家の実務能力があるかどうかを選別するためのものであったりします。
司法試験の問題を教えてもらったほうはどうもそれを参考にして答案を書いたらしかったりします。ラッキーと思って答案を書いたのかもしれません。
でも法曹に限らず法学部出身者に問われるのはおそらくあらかじめ知っている問題を解く能力ではなく、問題を探し出して一定の方向へ導くことです。特に法曹関係・法曹三者はその能力が問われます。実務に耐えうる能力があるかどうか試すことなく専門家になってなにをするつもりであったのだろうか、大学入って判例集とか読んでいながら、社会で法学部出身者がなにが問われるかそこらへん気がつかなかったのかなあとおもいました。
もっとも法学部に入りながら家族法や戸籍に興味を持ち、法曹三者にならないで、結果としてあほうがくぶをでちまったので、わたし自身は大口を叩けないんすけども。