高校生のときに交換日記というのをやってて書くことがないよーといいながらずっと交換日記をしてたのですが、おれはこう思うてきな内なる心情をかいたり、どうでもいいことを書いたり、することがありました。で、そのことについて交換日記の相手は即答えなかったり、「スルー」ってのはけっこうありました。相手の書いてることにも即答えなかったり、「スルー」してたことはあります。文字のやりとりのなかで文字によるコミュニケーションって、すぐ返信しなければならない内容のものと、すぐ返信しなくてもよい内容のもの、ほんとに返信する必要のないもの、文字にしないで口頭でいったほうがいいもの、ってのがあるものだという理解が知らないあいだにできていて、全然気にならなかったのです。このブログにそれほど第三者の反応がない・コメントが無くても全然気にならないのはそれらの経験があるからです。交換日記の相手の場合、実際あえば、交換日記上で文字にはしないけど、そのことについて会話なんてのをしてました。いまでもこの相手はメールや直接あったりしますが文字や言葉でも、スルーすることもあるし、へーきで突然「このまえのさあ」って、時間差で返信したりしますってそれはともかく。
何年か前にNHKはてなも登場していたデジタルネイティブというのを取り上げられてたことがあります。そのなかで印象的だったのは「webでなにを語るか」というのがあったんすが、たしか「リアルとネットの境がない」というようなことものべてて、なんとなくわかったつもりになっていました。そのデジタル・ネイティブの特集からもうかなり経つのですが、いまさらながらあの放送の意味がより判ったのはLINEの「既読スルー」に関することです。なにかを書いててそれを送信して、誰かが読んでもそれを返信しないと問題になっちまうそうで。読んでくれるだろうと考えて送信したほうは、返信が無かったら話しかけていても無視されてる、ということと同義になる・それが傷つくとか、(私は幸か不幸かLINEをやってないので実感としてないのですが)ああなるほど、と思った次第。既読スルーの問題をどこかでみかけてしばらくは文字にして文字に反応はなくてもどこに問題があるんだろう、などと考えていました。ネットとリアルの境目がないのがあたりまえで常に返信しないといけないわけでもないはずなんだけど反応がないと無視されたと感じてしまう、ってのは紙の交換日記の時代より、便利ないまのネットがあたりまえにある世代のほうがきつそうな気がします。
文字にする、ということは考えてることを咀嚼して、いっぺん第三者にもわかるように書く、という行為です。それがあんまりうまいほうではありません。もしおれがLINEを多用していて、考えてなにかを書いてやはりうまくなくて、それがスルーされたら、もしかしたらさぞかし疲弊してたかもな、なんてことをLINEに関するニュースをみて全然関係ないかもしれないことを考えてしまいました。